3回の執行猶予、その後の展開 ~はなさん(50代女性)の場合~

仲間の体験談

入院治療中のはなさん(50代女性)から寄せられた体験談をご紹介します。(2020年4月29日寄稿)

摂食障害と万引きと

私は現在50代半ばで、夫と3人の子供がいます。仕事はこの20年ほど介護に携わっています。現在、A病院に入院し、クレプトマニアの治療を行っています。

私のアディクションはクレプトマニア(万引き)と摂食障害です。18〜19歳で摂食障害になり、程なく万引き行為が始まりました。最後の事件が昨年の12月ですから、その歴史は35年にも及ぶものとなってしまいました。

摂食障害からクレプトマニアへ

私は高校3年の終わり頃に軽い気持ちで始めたダイエットがきっかけで、拒食症になっていきました。初めて万引きしたのはまだ拒食の頃、キャラメル一箱でした。すぐにエスカレートすることはなく過ごしていましたが、短大2年生になる頃、両親と6歳上の兄との生活から母と2人暮らしするようになると徐々にエスカレートしました。以前から進行していた拒食に加え、万引きもたくさんは盗らないものの頻度は増えていきました。そして20歳になった頃には過食嘔吐に転じてしまいました。

私は身長171cmですが、拒食症の時は体重40kgを切ったこともあり、見るからに病的でした。それでも周りに医療機関への受診をすすめる人もおらず、自分でもそこまでの自覚がありませんでした。過食嘔吐になってからは少しふっくらして見かけが病的でなくなったことで、誰も私がそんな苦しみを持っているとは思わなかったでしょうし、痩せ細った私を知っている人は治って良かったと思ったでしょう。しかしそこからが本当の地獄でした。過食になったことで万引きもエスカレートしていきました。

初めての裁判

20歳過ぎの頃、お店で捕まり2回ほど警察に行ったことがありましたが特に処分はありませんでした。その後社会人となり、縁あって25歳で結婚しましたが29歳で離婚しました(子供はいませんでした)。33歳で今の夫と再婚し、3人の子供に恵まれました。再婚するまで約13年間、毎日のように万引きしていたにもかかわらず、お店に見つかることはあっても警察沙汰になることなく過ごせてしまいました。

しかし2002年、私はスーパーで万引きをしてとうとう初めて起訴されました。在宅起訴でした。

私は摂食障害とクレプトマニアという2つのアディクションを持つようにななりましたが、そのことを誰にも打ち明ける事ができずに過ごしていました。何故なら、「こんな事をしている変な人間は世の中に私だけ」とずっと思っていたからです。こんな恥ずべき犯罪と、食べ吐きする汚い事を毎日繰り返している人間なんているわけがないと。私はどちらかというと正義感が強く、頑張り屋でしたし、親から食べ物を粗末にするなと教えられそう育ってきたので、なおのことでした。ですから裁判になるとわかって「もうダメだ。もうおわりだ。何とかしないと。」と思っても、どうしても夫に打ち明ける事ができませんでした。

結局、その数年前から同居していた私の実母にだけ裁判になってしまったことを打ち明け、裁判に情状証人として出廷してもらいました。判決は懲役10ヶ月執行猶予3年でした。

この時警察と検察で取り調べを受けましたが、摂食障害の事は口にすることができず、お金のやりくりが大変みたいなことを言って済ませていました。このままではまずい、もうやめないとと思うのですがもう自分の意志ではどうにもならず、また万引きを繰り返す毎日になりました。

再発、そして2回目の裁判

そして2012年、再び警察のお世話になりましたがこの時も在宅起訴でした。そのときも、私は夫に打ち明ける事ができませんでした。さすがに2回目となれば刑務所に入るかもと思いましたが、勇気が出ません。母も歳を取り出廷できる状態ではありませんでしたので、その裁判は1人で臨みました。

今回は検事さんと担当弁護士に、摂食障害がある事を勇気を出して話してみました。検事さんは「だから万引きしていいという事にはならない。」とおっしゃいました。担当弁護士は曖昧な反応で特に何もおっしゃいませんでしたが、裁判ではその事を言って下さいました。すると裁判官の方が「摂食障害は命に関わる重大な病気です。お子さんもいらっしゃるし、きちんと治療して下さい。」とおっしゃって、懲役1年執行猶予4年の判決を下さいました。

私はありがたい気持ちでいっぱいで、言われた通り治療しようと思いました。しかし、家族に打ち明けてませんし病気も病気なので病院を探すこともなかなか難しかったです。仕事と家庭のことをしながら負担なく通えるところということで、地元の心療内科に行ってみました。担当の先生には「まあ、万引きは悪いことだからね。」とぶっきらぼうに言われ、やっぱり理解されないんだと思いました。カウンセリングを受けるよう指示され受けましたが、それは摂食障害に対するもので、私はその間にも万引きをしてしまっていたのです。これでは何も変わらないと思ってしまい、数回で行かなくなりました。また振り出しでした。

逮捕拘留と3回目の裁判

そして2018年6月、仕事の休憩中に行ったコンビニで万引きをして捕まりました。今度は逮捕勾留されてしまい、とうとう家族に知られる事となりました。仕事は当然退職となりました。夫はとても驚き怒りましたが、その後は「病気だから治療しよう。」と言ってくれました。私もこれでやっと隠し事をせず治療ができると心が軽くなりました。

拘留は5日間で、釈放されたあとすぐに病院を探しました。のちに入院することとなるクレプトマニア治療を行うA病院を教えてもらいましたが、入院治療が前提となると聞き、A病院での治療は難しいと思いました。私には介護している母と、高校に入ったばかりの末息子がいたからです。そのため地元の大きな病院を受診しましたが、やはりカウンセリングが必要ということで、再度以前通っていた地元の心療内科に行くこととなりました。以前通った時は摂食障害に対するカウンセリングという感じでしたが、今回は万引きの事も自分から話すようにしました。

その後検察の取り調べがありました。検事さんは私の事情にいくらかの理解をして下さり、一度は罰金刑でおさめてくださるとの事でした。そこで仕事を探してスタートを切った矢先、「やはり裁判になります。」と言われました。私は地獄につき落とされたようでした。3回目の裁判です。実刑かも…。不安で不安で、もうどうしたら良いかわかりません。

その時の私の担当弁護士は、勾留された時に夫がビックリ慌てて頼んだ初めての私選弁護士でしたが、あまり信頼関係が築けませんでした。無料相談に行ってみると、A病院もしくは都内のクレプトマニア専門病院であるK病院に行った方が良いと言われました。そこでA病院に外来で行ってみることにし、2018年12月に初めてA病院ににつながることができたのです。主治医は院長ではありませんでしたがクレプトマニアの自助グループを教えてもらったり、プライベートメッセージ(先の段階に治療が進んでいる患者による体験談)を聞いたり、MTM(”万引き盗癖ミーティング”の略、当事者のみのミーティング)にも参加するようになりました。

担当弁護士については、私選を解任して国選に戻す決心をしました。そこで新たに担当してくださったのがK先生でした。K先生は30歳位のまだ若い弁護士でしたが、始めから私の話をとても良く聴いて下さいました。また、以前クレプトマニアの事件について担当されていたことがあり、A病院の院長のこともご存知でした。そして、A病院で通院治療を受けながら、裁判に向けての準備をすることとなりました。あまり時間はありませんでしたがK先生は本当に尽力して下さり、私は3回目の裁判で「懲役1年6ヶ月保護観察付き執行猶予4年」の判決を受けました。K先生からは「保護観察付きの執行猶予には、本当に次はない。」という説明を何度か受けていて、判決後も再度念押しをされました。

私はお世話になったK先生のためにも、万引きをやめようと思いました。

幸せな生活と慢心、そしてスリップ

家族に全て知られた解放感で、万引きの衝動なく生活できるようになっていました。今までどんな窮地に立ってもやめられなかった万引きでしたが、自分でも不思議なくらいする気になりませんでした。「これでやっと普通になれる!」仕事と家事、介護と忙しくはありましたがしあわせでした。時々弁護士のK先生にもメールで近況報告していましたが、すぐに励ましのお返事を下さいました。

でも私は2019年12月19日、再犯をして捕まってしまったのです。判決を受けて約10ヶ月後のことでした。

私は万引きの衝動がなく生活できていることに慢心してしまい、私は大丈夫と思ってしまいました。生活を優先して病院や自助グループに行かなくなっていたのです。そして捕まる少し前から、スリップしていたのです。

心のどこかで「少しだけなら、大丈夫だろう」という特有の歪んだ認知が出てしまい、買い物する中の数点を盗ってしまっていました。事件当日は夜勤明けの特に睡眠不足の状態がひどく、かなり思考能力も低下していました。言い訳の様ですが、周りに対しても警戒することなく数点の商品を小さなバッグに入れてしまい、捕まってしまったのです。

終わったなと思い、どうしてこんなことをしてしまったのか、あんなに苦しんで多くの人に支えられ助けられ掴んだ生活だったのに、こんなに簡単にバカなことをしてしまって、後悔してもしてもしきれない、やりきれない思いに押しつぶされそうでした。しかしこれが現実なのです。これがこの病気の怖さだったのです。気がつくのが遅かったけどもうどうしようもありません。

逮捕拘留とまさかの展開

勾留された翌日の昼頃、夫から連絡を受けた弁護士のK先生がすぐに来て下さいました。「びっくりしました。でもこれがクレプトマニアの怖さです。」とおっしゃいました。先生は接見に来られる前に既に夫と会って、打ち合わせをされていました。実刑は逃れられないものの、釈放されるように動いて下さいました。そして5日目の12月23日夜に釈放されました。

釈放されたことは私にとって、本当に大きな意味がありました。介護している母の身の振り方や家庭内の様々なことなど、収監される前にやっておかなくてはいけない事がたくさんあったからです。

K先生からは、すぐにA病院と関連のあるK病院に予約をするように言われました。年明けの2月14日に予約が取れ、夫が行くこととなりました。私は、その前の12月28日にA病院を受診しました。母の施設への申し込みをするための様々な手続きや自分の体調面の受診などをしながら過ごす中、検察からの連絡がありました。奇しくも夫がK病院に行く日と同じ、2月14日に取り調べに行くことになりました。

検察での取り調べにはすべて正直に答え、自分の窃盗症に対する認識が甘かったこと、後悔してもしきれないことを話しました。これが現実であり、私がした事で間違いないし、自分のした事は自分で責任を取るしかないので実刑も覚悟しているということも伝えました。そして治療を再開している事、入院をしようと考えている事を伝えました。同日の夫のK病院への受診では、院長に一連の事情を話し「んー、今回は難しいね。起訴されたらアウト。助かるには不起訴か起訴猶予に持っていくしかない。」と言われたとの事でした。夫は5人の方のプライベートメッセージを聴き、帰ってきました。

その後K先生が検察に確認したところ、2月中には起訴しますとの返事でした。夫は諦めきれずK先生に「自分も検事さんに会って話がしたい。会うことができないか。」と伝えました。K先生はそれを検事さんに伝えてくれ、自分も意見書を提出したいと加えて下さいましたが、検事さんは「意見書提出も会うこともしても構わないが、それによって結果(起訴されること)は変わらない。」とおっしゃったそうです。K先生は経験上今の段階で働きかけるよりは裁判で、と思われたようです。

その後、2月28日に私は初めてK病院を受診しました。夫とK先生が同行してくれました。初めての院長との対面ではやはり「んー、アウトだね。」と言われましたが、A病院に入院の予約を入れました。診察が終わったところで、その日が2月末の金曜日だったのでK先生が検察に起訴されたかの確認の電話を入れてくれました。すると「弁護士さんからの意見書待ちになっています」との事で、起訴を待って下さっていたのです。K先生と夫は「これはもしかして」とわずかな光を感じて、先生はすぐに意見書を作って提出しますと言ってくださいました。また夫は、以前に検事さんに伝えたいことをK先生にメールで送っていたので、それを必ず伝えて欲しいと言いました。メールの内容は「前回の事件で妻の病気を知り、裁判で情状証人として再犯しないよう自分が監督していくこと、一緒に病気を治していくことを約束したにもかかわらずこんな結果になり、病気の怖さ、自分が甘かった事を思い知らされた。何とかもう一度本気の治療をさせて下さい。そのためのチャンスを下さい。それでもし再犯したら自分を罰してもらってかまわない。」という旨のものでした。

その週末、すぐにK先生は揃えられる全てのものを付けて、意見書を提出して下さいました。週明けの3月3日火曜日に直接検事さんから電話があり、時間を15分くらいとって欲しいと言われ、その日の夕方検察庁に出向きました。検事さんからは「今回は罰金にしようと思います。私がそう決めた決め手は入院治療です。必ず入院して治療して下さい。これが本当に最後のチャンスですよ。」と伝えられました。

私は涙が出ました。奇跡でした。もう本当に誰も裏切れないと思いました。

次のK病院の受診で院長に伝えると本当にびっくりされ、相当なラッキーガールと言われました。

入院治療で気が付いたこと

そして私は予定通り、2020年3月16日にA病院に入院しました。入院してわかったことは本当に自分が無力だということ。アディクションを覚えてしまった私は知らなかった自分にはもう戻れない、油断をするとすぐに引き戻されるということです。でも私は万引きというアディクションを諦める選択しかないのです。この先の生活で万引きを諦め続ける自分でいるためには医療や仲間と繋がり続けること、自分から発信し続けることが必要だと感じています。今苦しんでいる仲間のために私が一人で苦しんできた35年と、治療とつながれた今とこれからを伝えていきたいと思っています。それが私にとっても抑止力になるのではないでしょうか。

長くなってしまいすみません。まだ入院治療半ばの私です。残りの入院生活を少しでも有意義に過ごせるようにしたいと思います。


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