「罪悪感の低さ」と向き合う

万引きを手放すために

クレプトマニアが万引きなどの窃盗を繰り返してしまうことの理由の一つに、罪悪感が低いということがあげられると考えます。窃盗被害を甘く考えてしまいがちです。

「罪悪感」よりも「捕まることへの不安」が強かった

お店の商品はお金を払って買う、そんな当たり前のことが当たり前にできないのがクレプトマニアです。窃盗行為に依存しており、盗りたいという衝動に駆られるとそれを抑えることができません。

クレプトマニアは窃盗について、罪悪感はあってもその程度が低く、窃盗を軽く考えていることが多いと思います。ここでいう罪悪感とは「お店など直接的な被害者に対する加害者意識」という意味です。窃盗行為への罪悪感が低い・加害行為であり被害者がいるという意識が低いために、数ある依存症の中でもクレプトマニアに発展してしまったとも言えるかもしれません。わたし自身も、毎日のように万引きをしていた頃は万引きに対する罪悪感は低かったです。そして、「売れ残ったら捨ててしまうのだから、万引きしてもいいだろう」、「頑張っても報われず損をしているから、その分盗ってしまえ」など、万引きを正当化する勝手な理論を自分の中で生み出していました

万引きした後に後悔というか、後味の悪さやうしろめたさはありました。それは、罪悪感というよりも捕まることへの不安によるものでした。万引きが犯罪行為であることも認識しています。ですが、「いけないことをした」というよりも、「見つかって捕まったらどうしよう」という気持ちの方が強いのです。そのため無人販売所のような、発覚する可能性がほとんどない万引きであれば、捕まる不安も少なく精神的な落ち込みはほとんど抱かなかったと思います。そして気になるのは、「お店に迷惑をかけた」ことではなく、「万引きって後日逮捕はあるの??」ということでした

罪悪感はあるが少ない、そしてピントがずれている

診断ガイドラインのICD-10には「窃盗を働くというエピソード間には不安、落胆、そして罪悪感を覚える」とあり、クレプトマニアでも罪悪感がないわけではありません。でも、少ないのだと思います。そして、繰り返し窃盗を行うことで慣れてしまい、さらに罪悪感が少なくなるように思います。

また、罪悪感を抱いたとしてもピントがずれていることがとても多いです。吉田精次著「万引きがやめられない クレプトマニア(窃盗症)の理解と治療」の中では、罪悪感の中で気になることとして「万引きした店や相手に対する加害者意識が極めて希薄であるということ」・「患者さんたちの罪悪感の大半は家族に迷惑をかけたというもの」をあげています。さらに「捕まったこと、厳しい取り調べを受けたこと、裁判で判決を待つ間の不安な気持ちを経験したことなどに対して『大した額のものしかとっていないのに、なぜこんな扱いを受けなければならないのか』という被害者意識が認められます。」と書かれています。

これはわたしも同じように感じていました。入院中にクレプトマニア同士で「誰に迷惑をかけたか?」が話題になったことがあったのですが、わたしを含めた参加者の多くが、家族や職場など自分の周りの人に迷惑をかけたということを話し、お店など直接的な被害者について話した人はほとんどいませんでした。

わたし自身が抱いていた罪悪感を考えてみると「万引き(被害者)に対する罪悪感」というよりも、「(万引きをしたことに)罪悪感がないことへの罪悪感」、「万引きがやめられないこと、社会のルールを守れないことに対する罪悪感」、という感じで、どこまでも自分中心的だったように思います。そして、その罪悪感を自分自身に向け、自責・自罰感情を高めたり、自己嫌悪に陥ったりしていました。一方、直接的な被害者に対する申し訳ないという謝罪の気持ちは、ほとんど持てていなかったと言っても過言ではありません。

そもそも窃盗行為そのものに対する罪悪感が低いので、直接的な迷惑をかけたお店に対して申し訳ないという気持ちが少ないのだと思います。更にわたしの場合、「万引きしたこと」でお店に迷惑をかけたというよりも、「捕まったこと」で家族や自分の周囲の人に迷惑をかけたことに罪悪感を覚えている状態でした。「万引きをやめられないこと」に罪悪感を持つのであり、それは被害者に向けられたものではありませんでした。「迷惑をかけたことで周囲の人が自分から離れていってしまうのが不安」というように、自分のことばかり考えていて、どこか的外れでした。直接的に自分に関わっている範囲にしか目を向けられていなかったと言えます。自分が犯罪を犯しているという認識はあっても、それが加害行為であるという認識が乏しかったように思います。極端に言えば、捕まらなければ被害者に対しての罪悪感はほとんど抱けなかったと思います。

この自分に向けた罪悪感は自分を苦しめるものの、窃盗行為の抑止力としては機能しにくいように感じます。被害を与えた相手に対しての罪悪感であれば「もうこれ以上被害を与えてはいけない」という気持ちになりやすく、この罪悪感を減らそうと窃盗行為の抑止力になり得ます。一方、自分自身に向けた罪悪感は「自分が悪いことをしているのだから、罪悪感に苦しめられるのは自業自得」などと、自分が我慢すればいいと思ってしまいがちです。むしろ、自分を傷つける目的・自傷行為として万引きを行う一面もあったと思います。その結果、罪悪感を減らそうという気持ちが湧きにくく抑止力になりにくいと感じます。更には、自責感情を強め「自分のことなんかどうでもよい」などと自暴自棄になってしまうと、罪悪感が増えて自分を苦しめたところで痛くもかゆくもないので、行動も大胆になりやすいです。自分に向けた罪悪感はそれを減らそうという気持ちが起こりにくく、むしろ「万引きによる罪悪感がさらなる万引きを生む」という状況を引き起こしかねないのではないかと思います。

窃盗への罪悪感が低いことを認める

「盗ってはいけない」というのは、小学生でも知っている社会のルールです。そんなことも理解できていないとなれば、恥ずかしい・情けないような気もしてしまいます。

でも、きちんと理解できていないのが現実、そこを否定しても前に進めないと思います。わかっていれば、盗ったりはしませんし、実際多くの世の中の人が窃盗をせずに生活をしています。盗ってはいけないのに、枯渇恐怖・損得勘定といった認知の歪みを利用して、いろんな理論をつけて正当化して盗ってしまうのです。万引きを繰り返してしまうのは、損得勘定や枯渇恐怖が強いというのもありますが、やはり罪悪感(加害行為であり被害者がいるという認識)が低い、のだと思います。まずは「窃盗への罪悪感が低い」ということをきちんと認め、それを補う方法を考えることが必要だと感じています。

「枯渇恐怖・損得勘定」、「認知の歪み」ついてはこちらで書いています。

どうやって「盗ってはいけない」と思えるようになったか?

わたしは入院治療を経て、盗らない生活を送れるようになりましたが、入院生活で自分自身の問題点と向き合う中で、万引きへの罪悪感が低いことを痛感しました。

万引きを止められなかった頃のことを振り返ってみると、誰に迷惑をかけたかという時にまず思い浮かべるのは「家族」であり、直接的な被害者であるお店に対して悪いと思えていなかったのです。そのため「盗ってはいけない」ということを自分自身にわからせるために、罪悪感の低さを改善することに注力しました。

そこで考えたのが「お金の流れ」、「家族」です。

小売店は、基本的に商品を売ることでしか利益を得ることはできません。商品を買い付ける→お店まで運ぶ→棚に並べる→レジでお金を回収するなど、商品を売るまでにいろんな工程がありますが、最終的にお金を払ってもらわなければ、何の利益にもなりません

もし万引きをしてしまったら、お店にはお金が入りません。万引きをしたらお店から、お金を奪うことになります。「万引き」というとどうしても軽く考えてしまいがちですが、やっていることはレジから現金を奪うような「現金強盗」と同じです。そして、お店で働く人の給料はお店の売り上げから支払われます。万引きをすることは、給料として支払われるべきお金を奪っていることになります。つまり、万引きをすることはお店の人の財布から現金を盗んでいるのと同じです。お店の人どころか、商品を買い付けた人、品出しをした人など多くの人から現金を奪っているのです。万引きは目の前の商品を奪っているのですが、巡り巡って、多くの人から現金を奪っているのです。

また自分が被害者側になることを考えました。「満足感・達成感を得たかったから、あなたの財布からお金を盗りました」、「自分のお金が減らしたくなかったので、他人のお金を盗ってもいいと思ってしまいました」などと言われたら、どんな気持ちになるのか?それを赦せるのか?そう考えると、自分だったら絶対に赦せないと思うようなことを平然と他人に行ってきたことがわかりました。

クレプトマニアでも、すべての窃盗行為に罪悪感がないとは限りません。「万引きはしてしまうが、置き引きはあり得ない」、「ロッカー荒らしはしてしまうが、万引きはダメでしょ」、などといった具合に人によって違います。わたしは万引き以外の窃盗行為をすることはなく、現金を奪うとなれば「それはダメでしょ」と思えます。そのため、お金の流れを考えて、「それはダメでしょ」と思える現金を奪うというところまで話を拡げて考えるようにしました。そこまでしてやっと、被害者に対して申し訳ないという気持ちを抱けるようになり、万引きはダメだという認識を強くすることができました。

さらに、認識を強めるために利用したのが「家族」です。わたし自身もそうなのですが、クレプトマニアにはこの「家族に迷惑をかけている」という考えに弱い人が多い印象があります。それを利用するために考えを家族にまで拡げました。商品を売るために働いている人にも、家族がいます。その人が家計を担っているのであれば、その家族の財布からもお金を盗んでいるのと同じです。わたしが万引きをすれば、そこの従業員だけでなくその家族をも苦しめることになります

万引きをするとそのお店の人に迷惑をかけているばかりでなく、その商品を売るまでに携わった多くの人たち、さらにはその家族にも迷惑をかけていると想像することで、「盗ってはいけない」という認識をさらに高めることができました。

近くのこと・捕まった時の迷惑しか考えられていない

このように書き出してみると、万引きを繰り返していた頃は本当に近くのことしか考えられていなかったと痛感します。盗っているときには、近く(目の前)の商品と自分との世界に入ってしまっていました。商品がお店に並ぶに至るまでに何があるかなんて、考える余裕もなかったです。時間的なこともそうです、本当に刹那的というか、近く(目先)のことしか考えられませんでした。捕まったらどうなるか、その先にどうなってしまうのかなんて考える余裕がなく、考えていたとしても窃盗欲求が湧き上がってくれば、全部吹っ飛んでいました。

そして何より、被害者の立場に立って考えるということができていませんでした。自分が被害者になったらどう思うかなど、被害者側の立場で考えることができていませんでした。迷惑をかけている存在としてまず思い浮かんだのは家族などの近くの人でしたが、これは「捕まった時にかける迷惑」です。捕まる以前に、盗っているだけで被害を与えているのに、そこを十分に考えられていなかったです。その結果、「バレなきゃいい」・「捕まらなければいい」という考えに陥りがちだったように思います。

この辺りの感覚はイメージで言うと「ルパン三世」の世界です。ルパンは強盗であり悪人なのですがこちらが主人公として描かれており、警察官であるの銭形警部が悪人のような印象を与えます。わたしの中でも、明らかに自分が悪いのに盗ることを正当化し、捕まえる人を敵視し相手が悪人であるかのように考えてしまっていました。捕まらないように盗るという駆け引きにスリルを感じていた部分もあり、捕まった時にはさも自分が被害者であるかのような感覚でした。そして、「ルパン三世」には本来の被害者である金銀財宝の持ち主はほとんど出てきません。わたしの中でも、本当の被害者である店舗側のことはほとんど考えられていませんでした。

万引きをしない生活になり、罪悪感の低さを自覚し、自分の問題点と向き合うことで、本当に多くの人に被害を与え続けてしまったと痛感しました。犯罪だと知りながらも被害者に対する罪悪感をほとんど持てずに万引きを続けてしまったこと、そしてそれを改善しようとしなかったことに本当に情けなくなりました。

毎日のように万引きをする生活の中では、目の前のことしか考えられず、自分自身の問題点とじっくり向き合うというのは難しいかもしれません。実際にわたしも「入院」という、盗れない環境に追い込んで万引きを止めたことで、やっと問題点と向き合うことができました。心と向き合う余裕がない状態でも、「罪悪感が低い・ずれている」ことを認識するだけでも違うのではないかと感じています。

自分の痛みの理解が相手の痛みの理解につながる

わたしは小さい頃から、周囲の顔色を伺い感情を抑えこむことを当たり前のようにやってきました。怒りや不満などの負の感情は、なるべく出さないようにしていました。負の感情を抑えこむのは自分の痛みに鈍感になることにつながります。自分の痛みに鈍感になると、相手に痛みにも鈍感になりがちです。自分の痛みがわからないと、相手の痛みを想像することも難しいです。

わたしは負の感情を抑えこむことを当たり前にしていたので、相手の負の感情も過小評価していたと思います。相手の痛みを想像できず、自分の行動の加害性を矮小化し続けたことが、「盗ってもいいだろう」という気持ちにつながっていたと感じています。しっかりと自分の負の感情を受け止める、痛みとして感じることが他人の痛みを想像できることにつながるように思います。回復への取り組みの中で、負の感情を抑えこまない、きちんと受け止めため込まないということに取り組みました。その結果、わたしの加害行為が被害者に大きな痛みを与えていることがわかるようになりました。自分の痛み(負の感情)を蔑ろにしないこと、それが相手の痛みを想像することにつながり、窃盗の抑止力にもなり得ると思います。

考えの変化を感じられた出来事

退院をするときに、罪悪感の低さが改善してきたことを感じられた出来事がありました。

退院の時には、自家用車で高速道路を利用したのですが、高速道路を走っていると、途中で大手スーパーの物流センター(倉庫)の大きな建物の横を通ります。その時に「わたしは万引きをすることで、ここで働いている人たちの財布からもお金を奪ってたんだな」と思い、本当に情けなくなりました。そして、盗らない生活を続ける努力を続けようという思いを強くしました。入院中の外泊時にも高速バスで何度か高速道路を利用していて、物流センターがあることには気が付いていましたが、その時にはそこまで気になることはありませんでした。それが退院時に通った時には、何とも言えない情けなさを感じました。入院中にいろいろと考えたことで、「万引きはやってはいけない」という認識を高めることができたんだと、取り組みの効果を感じることができました。

また、台風の時期に物流が滞り、スーパーやコンビニに商品が届かないことがありました。そのときにも、一つの商品がお店に並ぶまでに多くの人の手が関わっていることを認識し、もし万引きしたら多くの人たちからお金を奪うことになるという思いを強めることができました。

万引きを繰り返していた頃と比較し、目の前のことだけでなくその背景を想像できるようになったと思います。また、相手と立場を入れ替えて考えることも有効だと感じています。

「万引きはダメ」と認識するのにおすすめの本

万引きが悪いことだと認識するのにおすすめなのが「中学生までに読んでおきたい哲学② 悪のしくみ」です。コロナウイルス感染拡大の影響で休校になった子供向けの本として、新聞広告に掲載されているものが目に留まり読んでみました。

タイトルのように、中学生でもわかる内容です。様々な項目について書かれていますが、「万引き」は井上ひさしさんが自分の体験を書いたもので5ページ程度で、5分もあれば読めるような量です。「万引き」をするとはどういうことなのか?、何が起こるのかなどが書かれており、万引きへの罪悪感が低いわたしにとって、とても考えさせられる内容でした。

かなり、おすすめです。

また、現役万引きGメンが実際の万引き被害現場の様子を書いている「万引き 犯人像からみえる社会の陰」も、おすすめの1冊です。万引き犯の犯行現場、捕捉時や事務所対応の様子などが事細かに書かれています。盗っていた頃のことを思い出したり、万引きに苦悩する被害者側の状況を知ることで、「もう2度と万引きをする生活に戻りたくない」という思いを強くすることができました。

違うブレーキを用意する

罪悪感が低いという問題点と向き合い、いろいろと考え、改善することは意味があると思います。しかしそれだけでは不十分だとも感じます。

クレプトマニアは窃盗行為に関して、残念ながら「罪悪感」というブレーキ(抑止力)は壊れていると思います。壊れていないとしても、とても利きが悪い状態です。改善に取り組んで利きが良くなったとしても、「罪悪感」のブレーキだけでは止めることができないと感じます。そして、改善に取り組んでもピンとこないという場合も多いと思います。違うブレーキを用意する、つまり窃盗行為のブレーキになる「罪悪感」以外のものを探す必要があるのではないでしょうか?

わたしが有効だなと感じているのは、盗ってしまうことに「情けなさ」を感じられるようになることです。「罪悪感の低さ」を、「情けなさを感じる」ことで補おうという作戦です。「万引きを繰り返していろんな人に迷惑をかけること」を情けないと感じ、そんな状況から抜け出したい、もう戻りたくないと思えるようになるには「棚おろし」(過去のやってきたことを振り返ること)が効果的だと思います。決して楽な作業ではありませんが、盗らない生活を積み重ねるためにも棚おろしをやる意味は大きいはずです。

また、「捕まった時のことを忘れない」、「次捕まったら家族に絶縁されてしまう」などと盗った場合に自分の身に降りかかる悪影響を常に意識することも抑止力につながると思います。盗りたい気持ちを抑えるブレーキは多いに越したことはありません。

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