脱万引き5年、いろいろと試された1年

わたしの歴史

2024年4月、最後の万引きから5年が経過しました。この1年を振り返ってみたいと思います(2024年4月22日)。

少しずつ、活動の幅が広がってきた

当事者活動を始めて4年以上が過ぎ、少しずつ活動の場が広がってきました。以前から医療機関や回復支援施設へメッセージを運ぶことは行ってきましたが、この1年で大学の授業や司法・福祉関係者向けの講演など、当事者以外の方に向けてお話する機会を与えていただくことが増えてきました。クレプトマニアによる加害・被害を減らすためには、より多くの方にクレプトマニアについて知っていただくことがとても重要だと考えています。お話させていただける機会があれば、遠慮なくお声掛けください。よろしくお願いいたします。

「自分が自分でいてもいい感覚」

以前からこのようなことばは目にしてきましたが、いまいちピンときませんでした。「自分が自分であってはいけない、変えなくては」とまでは思っていないのですが、「自分が自分らしくいていいとは思えないし、自分らしさは出さない方がいい」、「受け入れてもらえないかもしれないから、隠しておいた方がいい」そんな感覚がありました。それでも本当の自分を出せないことや誰にも理解してもらえないと思っていることがこころの壁を作り、寂しさにつながっていると認識し始め、少しずつ可能な範囲で自己開示をしてきました。その中で「自分が自分でいてもいい感覚」というのが少しずつ分かってきつつあり、一方でどこか掴みあぐねていました。

そんな中で迎えた昨年の夏、幼馴染2人と会う機会がありました。2人は2~4歳の頃に住んでいた団地のご近所さんです。わたしは幼稚園に入るころに隣の学区に引っ越したので、たまに会うことはあっても同じ学校に通ったことがないという関係でした。だから、親友という感じでもないです。それでもなんとなく馬が合うので、途切れずに関係は続いていて、そのうちの一人の結婚式には同じテーブルで招待してもらいました。そして今では3人でLINEグループを作っていて、ちょっとしたことでやり取りをしています。

一人は仕事で海外赴任中で、一時帰国時に会おうとなり、いい機会だから自分のことをちゃんと話そうと思いました。隠していることが多いクレプトマニア・Xジェンダー(セクシャルマイノリティ)についてです。小さい頃からわたしのことを知っている、そして2人とも海外生活歴があり、寛容な考えの持ち主であることがわかっていたので、正直に話すことにはあまり不安はなかったです。とはいえ、実際に話すとなるとやっぱりそれなりに緊張しました。そして話してみたら、いい意味で拍子抜けするほど普通でした。今までにも高校・大学・専門学校の友人などにもオープンにし、受け止めてもらうという経験をしてきました。その都度、本当に救われてきましたが、この幼馴染とのやり取りはちょっと感覚が違いました。2歳の頃からのお付き合いなんですが、そこまで付き合いが濃くないので、小さい頃の印象が変にアップデートされていないような状態です。小さい頃の素の自分、より本当の自分に近いわたしを知っている人たちが、サラッと受け止めてくれました。この経験は「自分が自分でいていい感覚」を高める上で、大きな後押しとなりました。

「自分が自分でいていいと思えるか」、これは自分の内面の問題ですが、人との関係性の中で大きなきっかけをもらうことができました。今の生活は本当に多くの人に支えてもらっていると再認識しています。

セルフケアができるようになってきた

わたしは心身に対する「セルフケア」が下手くそすぎて、依存症になりました。「感情、特に負の感情を抑えこみ、一人で悶々とする」、「誰にも助けを求めることができずに、そのストレスを依存行為で発散する」、そんな状態でした。依存行為をセルフケアに使わざるを得ないほど、他のセルフケアの手段を持っていませんでした。依存症からの回復には、依存行為以外のセルフケア方法を身に着けることがとても重要であり、意識的に取り組んできました。そして昨年の秋にはセルフケアについてお話させていただく機会もあり、自分のことを振り返り、少しずつですが自分なりのセルフケアが身についてきている実感もありました。以前より感情を抑えこまないようになり、気軽に話を聞いてもらうなど人に頼ることができるようになっています。「依存症は人に依存できない病気」と言ったりもしますが、適度に人に依存できるようになってきました。

突然の失業で試された

そんなタイミングで襲ってきたのが、昨年12月の突然の失業でした。いつものように仕事に行ったら、突然会社が潰れたと言われました。わたしは理学療法士として介護の仕事をしていましたが、3年半続いていた利用者さんとの関係が突然終わりました。利用者さんにもういけませんと伝えるのは本当に辛かったです。そして2か月分の給料が不払いとなり、自分がそれまでやってきたことが軽んじられた、ないがしろにされたような気持ちになりました。自責感情の強さに白黒思考が相まって「わたしは世の中から必要とされていない」、「わたしは存在している意味がないのではないか」などとどんどんと追い詰められていきました。心理的ダメージから考えたら、今までで一番スリップ(再び依存行為に手を出す)のリスクが高まった出来事だと思います。

このとき、本当にありがたかったのがその日の夜にオンラインミーティングがあったことです。他のことに目を向けることができました。そして、失業の辛さをことばにして吐き出せたことで負の感情をため込まずに済みました。また、自分が係を担っているミーティングに仲間が集まってくれたことで、「自分が何かに貢献できている・必要とされている感覚」を得ることができました。あの日、一人で悶々としていたらと考えると恐ろしいです。仲間に救ってもらえました。

それ以降も本当にしんどい時、ストンと暗い井戸の中に堕ちてしまったような感覚になったこともありました。「目の前に一瞬にして楽になれるもの提示されたら、手を出してしまうのではないか…」、そんな状況でしたが、窃盗衝動は湧いてきませんでした。とにかく人に話を聞いてもらえたというのが大きいと感じています。いろんな人に話を聞いてもらいました。自分から助けを求められるようになったこと、そして助けてくれる人たちが周りにいたこと、それまで少しずつ積み重ねてきたセルフケアのスキルが役立ちました。ある意味、試される機会を与えられたのだと思います。この試練を乗り越えられたことで、それまでやってきたことは間違っていなかった・やってきてよかったと自信になりました。そして、改めて多くの人に支えていただいていると痛感し、これからも頼っていかなきゃと思うに至っています。

ピンチはチャンス

仕事を失ったことで時間ができました。その時間を利用して、いろんな人に会うことを意識しています。一人で考えているだけでは得られない、多くの学びがあります。ただただ愚痴を聞いてもらうだけでも、すごくありがたいです。そして、改めて「自分が何をしたいのか?」を考える機会が与えられたと感じています。「やりたいこと・やれること・やるべきこと」このバランスを考えながら、自分の経験を価値に変えられるようにしていきたいなと考えています。

失業は大きなショックでしたが、もう過去は変えられません。変えられるのはこの先です。あの経験があったから今がある、むしろプラスになったと思えるように、前を向いていきたいと思います。

自分に寛容になってきた

この脱万引き5年の区切りで書いている文章は、当初アップしたいと思っていたタイミングから大分遅れてしまいました。何かと予定が入ってしまい書けませんでした。そして、毎年この時期は季節の変わり目で気候が安定しないこともあって、体調がすぐれない日もちょこちょこあります。この日に書こうかなと思っていた日に天候不良・気圧の乱高下が重なり、ガッツリと動けなくなってしまいました。その結果、ずるずると遅れてしまいました。なんだかんだ言ってこれらは言い訳です。

以前のわたしだったら、動けない状態に鞭打ってでも、自分が決めた期日にやり切ろうと無理をしていました。睡眠時間を削ってでも、やろうとしていたと思います。そしてできなかったら「言い訳を並べてばかり。やると決めたのにやらない・できないなんて自分が許せない。悔しい・情けない」と自責感情を強め、自分を追い込んでしまっていたでしょう。でも今は「この投稿をするのは自分のため、仕事でやっているわけでもない。追い込みすぎてストレスを感じているのなら本末転倒、だから遅れたのは仕方ない」と思えています。もちろん、悔しい部分はありますが、自分の体調を優先させたというか、いい意味での緩さが生まれてきたとプラスの面の方が大きいかかなと。そして、この部分を書く頃には「本調子とは言えない中でちゃんと書いた、自分えらい!」と感じてきました(笑)。

万引きがやめられないという渦中にいた頃、そしてやめられた直後も、5年なんて遠い遠い先にあるという印象でした。それが盗らない一日を積み重ねることで、その日を迎えることができました。決して一人では無理でした。多くの人の支えのおかげです。本当にありがとうございます。

自分をしっかり褒めてあげるのも大事なセルフケア、失業という大きなピンチを乗り越えて脱万引き5年を迎えられたこと、今日まで生きてこれたこと、自分で自分をほめてあげたいと思います。そしてこれからも、多くの人に頼りながら盗らない生活を積み重ねていけるように自分なりに頑張っていきます。今後とも、よろしくお願いします。

節目に書いている文章はこちらです。