スリップの前兆に気が付けるようになる
スリップ(しばらく止まっていた依存行為を再び行ってしまうこと、単発の失敗)には、多くの場合前兆があります。その前兆となるトリガーを掴むことはとても大切です。
スリップにつながる連鎖プロセス
スリップに至るには段階があり、一連のプロセスによって引き起こされると考えられています。それは次のような図で説明することができます。
スリップする時には、その前段階にちょっとしたきっかけがあります。これがトリガー(引き金)と呼ばれるものです。トリガーには内的なもの(思考・感情・記憶などの内的要因)と外的なもの(人・場所・物・状況など)があります。トリガーが引かれるとそこに今までに経験した依存行為によって得られた思考や感情がプラスされ、それらが追い風となり依存行為への欲求(渇望)が湧き上がるようになります。この連鎖は雪だるま式に膨れ上がり、どんどんと大きくなっていきます。そして行為欲求が抑えられなくなると行動化(スリップ)につながります。この連鎖を行動化につなげる前にどこかで絶ち切ることができればスリップを防止できます。そこでまず大切なのがトリガーを把握することです。そしてトリガーが引かれたとしても連鎖を断ち切ることが求められます。ただし、この連鎖は先に進めば進むほど断ち切るのが難しくなるので、少しでも早い段階で気づくことがとても重要になります。
また、スリップと再発は違います。スリップは単発の失敗であるのに対し、再発は依存生活に戻ってしまうことです。再発まで至ってしまうと、一度出来上がった脳の快楽を感じる回路に再びスイッチが入ってしまい、意志の力ではどうしようもならない段階になってしまいます。そのためスリップしてしまったとしてもそこで諦めずに、単発の失敗で終わらせることが重要です。
(スリップも再発も同じ、一度でもスリップしたらそれは再発だという考え方もありますが、わたしは分けて考えた方が歯止めをかけるイメージがつかみやすいと感じています)
スリップしてしまったら、それを活用する
「依存症にスリップはつきもの、スリップの経験から学んで回復につなげていけばいい」、そう考えられています。ですがクレプトマニアの依存行為である窃盗は被害者のいる犯罪です。スリップしないに越したことはありません。しかし依存症である以上、スリップすることは十分に考えられます。そのため、スリップしてしまったらそれを隠して一人で抱え込み触れないようにするのではなく、回復のきっかけにするためにきちんと向き合って今後の回復に活かすことが本当に大切です。意味のあるスリップにするということです。
依存症は一般的にスリップしながら回復すると言われています。失敗を繰り返す中で、徐々に依存行為に頼らないための方法を身に着けていくというものです。これまでの取り組みを振り返り、何がトリガーになっていたのか、重要なハイリスクを見落としていたのではないか、見つけられていたとしても対処法の学習が不十分だったのでないかなど、そこにどんな問題があったのか、その過程を再検証する重要なチャンスが到来しています。何度も言いますが、クレプトマニアの依存行為である窃盗は被害者のいる犯罪なのでスリップは赦されません。しかし、起こってしまったらそれを活用する、それがスリップを回復につなげることが大切です。
万引きをするに至った経緯を分析してみる
このような一連の連鎖プロセスのきっかけになるのがトリガー(引き金)です。このトリガーは人によって違います。それを明らかにするには最初に依存生活に陥った経緯やスリップに至る経緯を分析することが必要です。
わたしは長年摂食障害(過食嘔吐)を続けており、食費に対する節約志向がとても強いです。一人暮らしをしていた時期もありますが、少しでも食費を抑えようとスーパーをはしごするような生活をしていました。それでも一人暮らしの時は特に後ろめたいことはしていませんでした。そして、盗らない生活を送れるようになった今でも節約志向はあります。簡単にはなくならない節約志向を抱えた中で盗らない生活を送る、そのためにもトリガーが何かを把握することが大切です。そこで節約志向が暴走し、万引きに依存するようになった経緯を振り返ってみます。
食費節約目的でズルをし始めたのは、買い物の際に割引になる商品を事前に確保するようになったことに端を発しています。割引になるタイミングの少し前に、割引になるであろう商品を事前にかごに入れ、店内で時間を潰します。そして、店員さんが割引シールを貼りに来るとそこに近づいて「これもお願いします」と事前に確保した商品を提示します。するとあまりいい顔はしないものの店員さんはシールを貼り、更に割り引いてくれました。他のお客さんから白い目で見られることもありましたが、その目が気になるというよりもむしろ、他の人が躊躇うようなこと・他の人がやらないことをやって周りの人よりも安く買えていることに満足感を得ていました。なんとなく、勝ち誇ったような気分になっていました。
割引品の事前確保が当たり前になってくると、それでは満足しなくなっていきました。次に始めたのは割引シールの貼り替えです。他のものに貼られた割引シールを丁寧にはがし、欲しいものに貼り付けて、堂々と割り引いてもらっていました。これは詐欺罪に当たると思われます。ですが、そんなことは考えず、食費を節約したいという一心から貼り替えをやっていました。
そしてこの頃にはセルフレジでも悪さをするようになっていました。セルフレジで少しでも金額が少なくなるように操作をしていました。わたしの中での言い訳は「(金額は少ないが)商品に対してお金を払ってないわけではないからいいだろう」というものでした。
万引きをし始める直前にはサンプル品や試食品を盗るようになっていました。本物の食べ物がサンプルとして置いてあるものを盗っていました。本物の商品がサンプルになっているものを見つけ、その残り商品が少なくなっていると「もうすぐ役割を終えるし、どうせ捨ててしまうのだから盗ってもいいだろう」、「フードロスになるのだから、盗ってもいいだろう」、「売り物じゃないから万引きじゃない」などと言い訳を考えながら盗っていました。サンプルもお店の備品なのでそれを盗むことは立派な窃盗罪にあたるのですが、「まだ万引きはしていない!」と勝手な解釈をしてなんとか踏みとどまろうと試みていました。でもここまで来たらもう無理です。節約志向はどんどんと強まり、窃盗欲求は雪だるま式に膨れ上がっていたのだと思います。万引きし始めるのは時間の問題でした。
他人との競争意識を持つと危ない
これらの一連の流れを振り返ってみて、内的要因のトリガーとして「他人より食費を節約したい」、「他人より高く買いたくない、損したくない」という気持ちが強くなることが考えられます。損得勘定が極端に強くなり、「他人に負けたくない」という思いが出てきます。そしてその気持ちが行動につながり、割引品の事前確保など「食費節約を目的に、他人より有利になるような”ずるいこと”をやり始める」ところまで至ると図の中の「問題行動の境界線(警告のサイン)」を越えた状況になっていると分析しています。単純に食費を節約するということに加え、「他人よりも安く買う」という競争意識が強くなり、それが行動につながってしまうと危険です。棚に並んでいる商品に割引シールが貼られるまで待てればよいのですが、「他人に負けたくない」という思いが強くなると、事前確保(フライング)というズルい行動をとるようになります。ここまで行ってしまうとズルをすることに抵抗感がなくなります。「他人より安く食べ物を手に入れたい」という思いから、「より安く手に入れないと負け、安く手に入れれば勝ち」というゲーム感覚による満足感・達成感を得られるようになり、どんどんとエスカレートします。リスクを冒すことで他人よりも食費を節約できていることに背徳感・優越感を感じ、この感覚に酔いしれてしまうのだと思います。こうなると罪悪感が吹っ飛んでしまいます。
ズルをするより正々堂々と節約!
そこでわたしの中で決めているのが、「他人より有利になるような”ズルいこと”ことはやらない」ということです。他人も手に取るチャンスがあるタイミング、つまり「割引商品の事前確保はしないで、店員さんが並んでいる商品に割引シールを貼るまで待つ」、これは盗らない生活を送るため、トリガーを引かないためのマイルールです。万引きをしないのはもちろんですが、そのためにはそれ以前の、より早い段階で踏みとどまることが大事になります。なぜなら、その一線を越えてしまうとスリップのリスクが一気に高まるからです。
そしてトリガーを引かないために、自分がズルをしてまで節約することで得ていた満足感・達成感についても考えてみました。ズルをして節約をするというのは、競技会でドーピングをして優勝するようなものです。ドーピングを自覚しての優勝、それって達成感よりも後ろめたさが強いのではないかと思います。「ドーピングの力を借りての優勝ってうれしいのかな?それよりも正々堂々と勝負した方が達成感はあるんじゃないかな?」、「万引きしたり、割引シールを貼り替えたり、他の人がやらないようなズルをしてまで節約しても、その達成感は後ろめたさもあるよな。だったら正々堂々と買って節約できた方が達成感を感じられるんじゃないか?」そう思うようになりました。
友人や同僚に話せるか?
許容範囲については「(クレプトマニアではない)友人や同僚に話せるくらい」という基準も意識しています。わたしは他者評価を気にしがちですが、赤の他人となるとそれが吹っ飛んでしまう時があります。そこで友人や同僚など具体的に相手をイメージしています。
お寿司を1人前買ったとします。醬油はご自由にお持ちくださいとなっている場面、「余裕をもって2つもらった」、このくらいならあの人にも話せるかな。「料理に使いたいから4つもらった」これはちょっとやりすぎ、話せないな。そう思うならダメ、そんな感じです。
他の人がやっていても自分はやらない!
アルコール依存症の人は、最初の一杯がトリガー、だから断酒する人がほとんどです。ギャンブル依存症の人はギャンブル断ちをします。依存症でない人だったら問題ないとされていることでも、依存症だからやらない、最初のきっかけ(トリガー)に手を付けないようにします。それが依存症の再発予防対策です。これは糖尿病の人が周囲の人が好きなものを自由に食べているのを尻目に食事制限をするのと同じで、完治しない病気を抱えて生きていくために必要な対策です。
お店で他の人が商品を事前確保して、貼り替えに店員さんが応じていたとしてもわたしはやりません。無料の調味料を大量に持ち帰る、袋詰め台のビニール袋を大目に持ち帰る、それは許される範囲なのかもしれませんが、他の人がやっていてもわたしはやりません。他の人がやっていても、クレプトマニアであるわたしにとっては万引きのトリガーになりかねない行為だからです。
気持ちを行動につなげないために
人はやりたいと思ったことが、全て行動につながるわけではありません。盗りたいと思ってもガマンできればいいわけで、行動化という最後の一線を越えなければ問題ありません。しかし、盗りたい気持ちが湧く状況まで行ってしまうと行動に至るギリギリにいる状態です。「いつもよりイライラしている」などの内的要因や、「警備が甘いお店でほしいものが目に入った」という外的要因など、ちょっとした追い風ですぐに一線を越えてしまいます。そのため、「トリガー」、「トリガーのトリガー」、更には「トリガーのトリガーのトリガー」などと、そこに至る前のなるべく早い段階で気がつき、その連鎖を断ち切ることが重要になります。少しでも余裕のある段階で踏みとどまることが肝心です。
ストレスを抱えた状況など、気持ちを行動につなげないためにはその気持ちをため込まないことが重要です。「仕事がうまくいかなくて、達成感が少ないんだよ」、「最近、節約したい気持ちが強まってるんだよね」など、誰かに話をするなどして外に出すことがとても大切だと思います。
トリガーに気づいて、早めに助けを求めることが大切
ここに書いた内容は内的なトリガーが行動として表面化したものです。この例以外にも「家庭内窃盗をするようになった」、「無料試供品を大量に持ち帰るようになった」、「職場のお菓子を大目にもらうようになった」、「枯渇恐怖が強まり、大量にため込みをするようになった」、「収集癖が強くなった」、「ダイエットを始め、ダイエット食品やサプリなどを検索するようになった」、「節約志向が強まり、買い物時にお店をはしごするようになった」などがあります。これらはある程度自分の意志でコントロールすることができます。また行動として表れるので、危険信号として把握しやすいと思います。とはいえ、この段階に至る前、気持ちの段階で把握できるに越したことはありません。
行動として表面化したものは分かりやすいとは言っても、それをコントロールするのは簡単ではありません。一人で抱え込んでいるとなかなか難しいです。気持ちの段階でも、行動の段階でも、とにかくため込まず、早めに助けを求めることが大切です。その気持ちや行動が後ろめたいものになればなるほど、助けを求めることを躊躇ってしまいがちです。「節約志向が高まっている」ことよりも「無料サンプルを大量にもらってしまう」と言う方がハードルが高く、それ以上に「万引きしてしまった」と正直に言うのは難しくなります。家族や友人などの身近な人や自助グループの仲間などとにかく早めに、ため込まないように外に出しましょう。
もし、外に出す場がなければわたしにご連絡いただいても結構です。
こちらまでご連絡ください ⇒ 高橋 悠への問い合わせ
「くしゃみ3回、ルル3錠」の前に…
「くしゃみ3回、ルル3錠」、これはCMのキャッチコピーです。「くしゃみを3回したら、それは風邪の引き始めのサイン。すぐにルルを飲んで、早めに対応しましょう」という意味です。でもこれは意識次第で、もっと前の段階で気が付くこともできると思います。「くしゃみ1回でも怪しいと思う」、「くしゃみが出る前には鼻がムズムズし始める」、「寝不足で疲れがたまると鼻がムズムズしやすくなる」といった具合に、どんどん遡っていくことで、薬を飲まなくてはいけない段階に至る前に対応することができます。
さらに対応法も決めておくと楽です。「お金を使うのがもったいないと思ったら、家族に話す」、「ケンカしたら盗りたくなりやすいから、相手への不満をノートに書きなぐる」など、より具体的に決めておいた方が動きやすいと思います。わたしの場合、損した気分になったことをため込まないように気を付けています。「狙ってた割引の品を他の人に買われてしまった」、「違う店に行ったら買ったお店よりも安く売っていた」、「野菜が高くなっていて損した気分になる」など、「ほんとにケチだな、こんなこと言ったらケチ臭いと思われそうで嫌だな」と思いながらも家族に話すなどしてその思いを発散することを意識しています。スリップしてしまうくらいならケチ臭いと思われる方がよっぽどマシなので。
依存症は一般的にスリップを繰り返しながら回復すると言われていますが、クレプトマニアの場合、依存行為は被害者のいる犯罪行為であり、スリップをしながら回復するというのは避けなければならず、あったとしてもそれを最後にする努力が必要です。スリップに至った経緯を詳細に振り返り、再犯予防対策を立てることがとても大切になります。
ここに書いた以外にもわたしにとってスリップのきっかけになり得る事項はたくさんあります。ひとつひとつ、早い段階で芽を摘むことを繰り返していくことが、盗らない一のを積み重ねにつながっていくのだと思います。
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