医療刑務所での治療でわたしは救われた~東雲さん(50代女性)の場合~
摂食障害からクレプトマニアを発症し、医療刑務所での摂食障害治療と一般刑務所での服役を経験した東雲さん(50代女性)がインタビューに応じてくださいました(2021年5月28日)。
姉への対抗心からのダイエット
わたしがクレプトマニアになったのは摂食障害になったことが大きく影響しています。わたしは15歳の時に摂食障害になりました。始めは拒食でしたが、過食嘔吐になりました。きっかけはダイエットです。わたしには6歳年上の姉がいます。姉はいわゆるできる人で学校の成績もよく、親からは姉と比較されているような気がしていました。わたしもできる子と思われたかったので、「お姉ちゃんに負けないように」といい子を演じていました。それでもなかなか姉にはかないませんでしたが、体型だけは違いました。姉はぽっちゃり体型、わたしは普通体型だったんです。ここだけは自分の方が勝っていると思えました。
ところが姉が就職し一人暮らしを始め、久しぶりに帰ってきたとき、痩せてきれいになっていました。唯一勝っていると思っていた体型でも姉に勝てない、それに焦りを感じたわたしはダイエットを始めました。それまでも痩せようと試みては失敗していたんですが、姉をライバル視して始めたときは気合が違いました。もともと完璧主義だったこともあり、スイッチが入ったようにダイエットにハマってしまいました。体型的には病的な痩せ体型になりましたが、周囲からそれを指摘されることもなく、高校・専門学校・就職とごくごく普通の生活をしていました。
仕事はできる人、裏では万引きがやめられない
窃盗行為をするようになったのは高校の頃からです。高校のバイト先で、他人のロッカーから食べ物を盗り、その場で食べることをしてしまいました。そして成人になってからも職場で置き引き、レジからお金を抜き取るなどの窃盗行為をしました。お金は過食嘔吐用の食べ物に使うためのものです。自分でもまずいと思っていたので、就職先にはお金を扱わない環境にいられる場所を選びました。
就職してからお金を盗むことはなくなったのですが、過食嘔吐に使う費用が立ち行かなくなり万引きをするようになりました。25歳の頃です。はじめは1~2個だったのが、段々量も回数も多くなりました。万引きをしたのは自己使用目的の食べ物だけで、万引きした食べ物を自宅にため込んでいました。ため込みがないと不安になり万引きを繰り返していたのですが、食べきれないほど盗ってため込み、腐らせてしまうこともありました。
過食嘔吐や万引きに後ろめたさを感じていたので、それ以外のことは完璧にやりたいという思いがありました。「摂食障害(痩せ体型)だから動けないと思われたくない」、「できる人でいなければ」と考えていました。なので、就職してから欠勤もなく真面目に働き、職場ではそれなりに評価されていました。病的に痩せていましたが、周囲からも指摘されることはなく、自分自身も「倒れないんだから働かなきゃいけない」と思っていました。「他のことは完璧にやる、だから万引き・過食嘔吐は許して」という身勝手な二面性を持ち、表面をよくしようと真面目に働きました。今思えば、そんな二面性を持った生活の苦しさやストイックな性格が自分自身を追い込んでいたと思います。
こだわりの強い性格
万引きしているとき、その盗り方に自分なりのルールがありました。こだわりというか、決まった行動を行うことが意味を持つというような、一つの儀式になっていました。わたしの場合、自分の過食嘔吐用の食べ物しか盗りませんでした。そして盗り方にも、左手で1度に2個ずつ盗る、だから1.5リットルのペットボトルなど1度に2個つかめないものは盗らないなど、自分なりの身勝手なルールがありました。盗ったものはすぐには食べず、ため込みます。美味しい、きれいなものは食べてはいけないという思いがあり、盗ってすぐに食べるのではなく敢えて傷みそうになってから食べる、理由があるわけではないのですがそれがわたしのルールなのです。このようなルールは過食嘔吐にもあり、変なルールで自分をがんじがらめにしてしまっていました。
このようなこだわりは日常生活にも及んでいます。今でも床の汚れが気になり、帰宅後はすぐに廊下の掃除をします。そうでなければ気が済まないのです。このような性格が摂食障害やクレプトマニアに影響している部分もあると思います。
逮捕されてもやめられなかった
万引きをし始めたらあっという間にひどくなりました。普通の買い物をするついでに、過食嘔吐用の食べ物を万引きし、盗ったものをため込んでいました。万引きをしていることに負い目はありましたがやめられず、その負い目を振り払うかのように、真面目に仕事をしました。
万引きを始めて1年もしないうちに捕まりました。でも捕まっても全然やめられませんでした。損得勘定が異常に強く、特に時間に対して損得勘定が湧きました。警察の取り調べで時間を費やしたことに対して、悔しさや損した気分が湧いてしまい、その帰り道で万引きをしていたくらいです。罰金刑になったのは35歳の頃です。罰金刑になるまでも万引きをやめられていたわけではありません。たまたま見つからずに間隔が空いたというだけでした。そして罰金刑になった時も、「罰金を払うことでチャラになった」と全く懲りることはなくすぐに盗り始めていました。次に捕まった時には裁判になり、保護観察付きの執行猶予判決でした。この時も同じです、3年経ったらチャラでまた盗れるという思考しかなく、判決の翌日から万引きをしていました。どうにもこうにもやめられませんでした。判決の2か月後にはまた捕まりました。
やめようとしなかったわけではありません。でも今思えば本当に甘かったと思います。「来月になったらやめる」、「誕生日になったらやめる」など、やめることを先延ばししはひたすら自分に都合のいいように逃げていました。
警察に捕まった時には当時の夫が身柄引き受けにきてくれました。両親に絶対に知られたくないという思いがああったんです。当時の夫ははじめのうちは被害店舗や警察に謝ってくれたりもしましたが、最後の方は呆れていました。繰り返し警察から連絡が行っていたので、自分の携帯が鳴るのが怖いと言っていました。その影響もあって、40代で離婚を経験しました。
両親に知られ、盗りたい気持ちが消えた
執行猶予中の再犯で捕まった時、ついにその事実を両親に知られてしまいました。警察から両親に連絡がいき、母が身柄引き受けにきてくれたのです。わたしは両親に知られることを本当に恐れていました。両親との関係が悪いわけではなかったのですが、いい子でいたいという気持ちが強かったのだと思います。両親に万引きを繰り返していた事実を知られることになったのですが、両親は突き放すことはなくその事実を受け止めてくれました。両親に知られたことで隠し事をする必要がなくなったことにどこかほっとした自分がいました。そして、親に万引きのことを隠さなくていい状態になったら、スーッと盗る気がなくなってしまいました。自分でもびっくりするくらいでした。つきものが取れた、そんな感覚でした。
わたしは極端な思考で完璧主義です。両親に万引きを繰り返していた事実を知られたことで、盗らないスイッチが入った気がしました。このスイッチが切り替わったような感覚は今でも変わっておらず、盗りたい気持ちはどこかへ行ってしまった感じです。
裁判により実刑が確定
執行猶予中の再犯で捕まった時には裁判対策の意味もあり、クレプトマニアの専門治療ができる千葉県の病院に入院をしました。両親に知られ盗りたい気持ちがなくなってから入院したので、その治療効果についてはよくわからないというのが本音です。摂食障害の影響で体重もかなり減っていましたが、摂食障害に対する治療は特にありませんでした。
裁判の結果は実刑判決でした。2度目の執行猶予を狙って入院治療もしましたが、実刑となりました。この頃には盗りたい気持ちはまったく起こらなかったのですが、その代わりに食べ吐きの症状が悪化しました。それまでの「盗らなきゃ損」といったおかしな損得勘定が「吐かなきゃ損」となってしまい、どんどんと痩せていきました。「このまま痩せ細って死んでしまえば赦されるだろうか」、「刑務所に行くくらいなら死んだほうがマシ」とも思っていました。このときのわたしは太ることを本当に恐れていたんです。盗りたい気持ちも収まっていましたし、体重増やしさえすれば実刑を免れていたかもしれないとも思います。でも、その頃のわたしにとっては刑務所よりも体重を増やす事の方が恐ろしかったんです。それほどまでに重症でした。もはや自力では太れなかった、太り方がわかりませんでした。そんな様子を見た裁判官は、わたしの太りたくない本心をすっかり見抜き「医療刑務所で治療させるしかあるまい」と、むしろ温情判決を下してくれたのだろうと思っています。あの時もし実刑を免れていたら万引きは止まっても、痩せ細っていよいよ死んでいたかもしれません。
矯正医療センターへ移送、その後刑務所へ
裁判が終わり収監された時、「盗れない」というより「もう盗らなくていいんだ」とほっとしたのを覚えています。「盗りたい」いうよりも「盗らねばならない」というくらいの強迫的ともいえる行動に、自分でもうんざりしていました。
拘置所に収監された時は30キロに満たないような低体重で、移送先がなかなか決まりませんでした。収監後も益々痩せてしまい、自分でも生きているのが不思議なくらいでした。約3か月後に東日本成人矯正医療センター(主に精神疾患患者である受刑者を対象にした、一般の刑事施設での生活に適応できる状態にすることを目的とした治療施設)に移送され、摂食障害の専門病棟で治療を受けることになりました。この環境に行けたことが本当に良かったです。矯正医療センターに移送されたのは「社会の一員として生きる為に心身共に健康になりなさい」ということだったのだと思います。
この摂食障害の専門病棟に収容されている人の多くは窃盗犯で、50~60人いました。自分と似たような境遇、クレプトマニアです。累犯の人も多く、クレプトマニアの回復の難しさを感じました。この環境でわたしの完璧主義スイッチが入りました。そもそも負けず嫌いで、誰よりも痩せていたいと思っていたわたしは、逆に一番優秀な患者になってやると思い、出された食事は完食するなど徹底的に治療に取り組みました。矯正医療センターの治療は徹底した食事管理・監視、水制限、行動制限とそれは厳しかったですが、ここまで本気でやってもらえたからこそ、ずっと逃げ続けてきた摂食障害の治療を初めて受け入れることができました。そして、看護師さんは食事を完食するだけで「頑張ってるね」とほめてくださいました。わたしにとって普通に食事をするというのがどれほど大変なことかを理解してくださっていた、これは本当にありがたかったです。病棟内では摂食障害からクレプトマニアに至り収監された仲間たちとのミーティングもありました。わたしはお姉さん的な年齢で周りを引っ張るくらいの位置にいたこともあり、積極的に治療に取り組みました。収監前に盗りたい気持ちがなくなっていたこともあり、出所後の生活に不安はありませんでした。でも他の仲間は再犯の不安を口にする人も多く、「強い気持ちで頑張ろう!」と仲間を励ますような立場でした。刑務所の先生(刑務官)もとても熱心に指導してくださり、今でもとても感謝しています。先生は「真横にも目が付いてるんじゃないか」というくらい、本当にわたしたちのことを良く見ており、一瞬の隙も見逃してくれない厳しい存在です。でも、それは命懸けでわたしたち受刑者を見守ってくださっていたのだと思います。いつも厳しく、温かく見守ってくださいました。厳しく容赦ない治療でしたが、初めて本気で向き合ってくれる先生・主治医・看護師さんと同じ境遇の受刑者らに出逢えたことは本当に恵まれていました。ある日主治医に「こんなに良くしていただいて何も恩返しができない」と言ったら、「それはあなたが健康になることです」と言われました。この言葉が今でも忘れられません。健康でなかったが故に罪を犯したのだとしみじみ感じました。矯正医療センターでの約8カ月の治療ののち、通常の刑務所に移送されることとなりました。
通常の刑務所でもわたしの完璧主義はよい方向に働きました。摂食障害を言い訳にしたくなかったので、摂食障害であることは隠していました。作業に真面目に取り組み、出された食事も完食しました。もともとわたしは不測の事態が起こると動揺しやすいタイプなので、毎日規則正しく物事が進む刑務所の生活リズムは心地よいとすら感じました。生活の中心が食べ吐きに追われ疲れ切っていたわたしにとって、刑務所での生活は心からの休息をし、今までになく穏やかで平和な時間を過ごせたように思います。刑務所では暇な時間がたっぷりあります。「自分と向き合う」、「自分を見つめ直す」には申し分ない環境でした。
通常の刑務所でも刑務官の先生方は時に厳しく、時に優しく熱心に指導してくださいました。ある日、いつもの刑務官の先生が作業後に、「人間として、日本人として、女性として誇りをもって生きて欲しい」と語りかけてくださいました。犯罪者であるわたしたち受刑者への真心と優しさを知り、猛烈に感動したのを今でも覚えています。わたしが収監されていた時期はコロナ渦の真っ最中だったので、刑務官の先生方はいつもマスクを着用していて、受刑生活でわたしはついに一度も先生方の素顔を見ることが出来ませんでした。あんなにいろいろ尽くしていただきながら先生方の名前も素顔も知らないというのは残念でなりません。
通常刑務所に移送されてから約3カ月で仮釈放をもらうことができました。医療刑務所では作業をしない期間もあり、仮釈放の対象にならないなどいろいろな噂がありましたが、普通に仮釈放をもらえました。この決定は「治ったんだから、社会にいるべき人間である」と認められた感じがして、とてもうれしかったです。
わたしは矯正医療センターという恵まれた治療環境に行けたということもあり、収監されたことはよかったと感じています。クレプトマニアに執行猶予が付くことはいいことだとは思えません。むしろ逆効果なのではないかと思います。赦されたという感覚は治療へのモチベーションを低下させてしまう可能性もあり、依存期間を長くすることにつながる気がします。いきなり実刑の方がよいのではないかと思うくらいです。クレプトマニアの回復のきっかけとして治療が必要なのはもちろんですが、刑罰も必要ではないかと感じています。
仮釈放後の生活
仮釈放後は一人暮らしをしています。収監前はパートナーと生活していたのですが、収監中に出て行ってしまいました。出所後1週間で仕事が見つかり、今はフルタイムで働いています。さすがに勤務初日は緊張しましたね。もともと真面目な性格ですし、何でもストイックになるところがあるので、いい方向で仕事に使えている感じです。そして、収監中に出て行ってしまったパートナーとも連絡を取っているうちに、来月からまた一緒に生活をすることになりました。仮釈放をもらえたのは、社会にいるべき人間だと判断してもらえたからだと思っています。だからこそ仕事が見つかり、その仕事をしっかりとこなしています。
万引きについて、こちらは盗りたい気持ちも全く起きていません。意地でも盗らないと思っていますが無理に抑えているわけではないです。完全にスイッチが切り替わったので、盗りたい気持ちが全く起きない、そんな感じです。わたしは強迫性障害ともいえるほどの完璧主義です。これを「万引きをやめる」ということに大いに利用してやろうと思っています。もう盗りまくったし、お腹いっぱいです。吐き気がするほど万引きしたのでもういいです。燃え尽き症候群とでもいうのでしょうか、最後の万引きから4年近くたっていますが万引きに対して何の未練もないです。これだけ前向きになれているのは、収監されたことで罪を清算したという思いがあるからかもしれません。収監にならなかったら負い目を持ち続け、罪の意識が消えなかったような気もします。わたしにも良心が残っていたんですね、本当の極悪人ではなかったのだなと。後日逮捕にビクビク怯えて暮らすより罪を償い正々堂々としていられる、今のこの清々しさがいかに心地良いか、そんなことを痛感する毎日です。
収監中は過食嘔吐も止まっていたんですが、出所したらやはり再発してしまいました。やっぱり全部を手放すことはできなかったです。何かにぶら下がっていないときついというのが正直なところです。でも過食嘔吐はたまにはするけど万引きはしてないので、それだけで十分だと思っています。以前のわたしは「~すべき」や「~ねばならない」と追い込みすぎてしまっていたのかなと。許していいところは許す、そうやって妥協点を見つけた感じです。完璧を求めなくてもいいんだし、頑張り過ぎなくてもいい。わたしは刑務所で十分すぎる休養をさせていただきました。
仕事も普通にできているので、買い物を普通にしているという点を除けば収監前の生活と大差はありません。買い物も特に気を張っているといることはなく、普通にできています。盗る前の普通に買い物できていた感覚が戻ってきていると思います。でも、セルフレジはちょっと操作を間違ったり、うっかりミスがあり得るので使わないようにしています。うっかりでも見つかったら面倒なことになるので。ポイントを貯めたり、お得に買い物できることを楽しめています。収監中は盗れない環境、でも今は一般社会という盗れる環境にいます。この「盗れないこと」よりも「盗らないこと」、盗れる環境で盗らないことが実に気持ちよくて清々しいです。この変貌っぷりには我ながらなかなか誇らしいほどです。
わたしは受刑中に多くの税金を使い、治療を受け生活をしました。今の生活は「アンタの為になけなしの予算をはたいてやったんだからしっかりやんなさいよ。ちゃんと見てるからね!」と全国民から後押しされている様な気がします。そんなわたしにできる社会貢献とは何か、それは働いて納税し、きちんと買い物をして国と地域に還元することだと思っています。刑務所にはもう行きたくないです。「刑務所なんてところはもうコリゴリ」という理由ではなく、あんなに良くしていただいたのだからその恩返しをする為にもう2度と行ってはいけない、そう思うからです。2度と行きたくない場所ではありますが、わたしには必要な場所だったのだと思います。わたしにはもはや万引きは何の魅力も意味もありません。以前は「刑務所に入るくらいなら死んだほうがマシ」と思っていましたが、今は「万引きするくらいなら死んだほうがマシ」と本気で思います。
なぜクレプトマニアにまで至ってしまったか?
摂食障害の人で、そこからクレプトマニアにまで至る人はごく一部です。わたしはそのごく一部の人間になってしまったのですが、その大きな理由に自分の中に遊び(余裕)がなかったことがあると思っています。わたしはとことん自分を追い込んでしまう完璧主義で、真面目過ぎるんです。万引きも、いい加減なレベルではなくとことんやってしまいました。あまりにも真面目にストイックに生きすぎました。休むことを身につけなくてはいけないですし、こころに緩さがないとうまくいかないと思います。この辺りは年齢を重ねたことでゆとりみたいなものが生まれてきたような気もしています。
また、隠し事をしているという重圧が万引きを助長していたとも思います。わたしの場合、両親に知られたくないという一心で、捕まってもその事実をひたすら隠しました。でも、両親にバレたらすっと盗りたいという気持ちが消えました。本当に、つきものが取れたというかウソみたいに盗る気がなくなりました。そのくらい、隠していることの重圧が大きかったのだと思います。でもこれは隠しているときにはわかりませんでした。隠しごとをしているのは本当によくない、頼れる人に洗いざらい話せることが本当に大事だと今更ながら痛感しています。医者や家族など、周囲の身近な人に本当のことを言えていないという人も多いと思います。わたしもそうでした。反応が怖いというのはわかりますが、やはりそこを乗り越えないとだめなんだと痛感しています。盗ってしまうのは病気でも、隠すことは別問題です。そのあたりも含め、盗らない生活が送れるかどうか、結局は本人の問題というところが大きいのではないかと思います。
わたし自身、過去のことは悔やんでいないというか、あの頃があったから今があると思っています。少しでも自身の経験を伝えられたらと思い、「東雲 長閑(@Renaissance1827)」という名前でtwitterをやっています。わたしのツイートを見て何かを感じたり、考えたりしてもらえたらうれしいです。
インタビューを終えて
東雲さんの摂食障害からクレプトマニアに至った経緯やこだわりの強さ、真面目でストイックな点などは、わたし自身と共通する部分がとても多く、回復のヒントがたくさんあったように思います。また矯正医療センターの摂食障害病棟には多くのクレプトマニアが収容されていることを知り、胸が痛くなりました。わたしも治療につながることが遅れていたら、東雲さんと同じような状況に至っていたかもしれないとも感じました。
東雲さんはご両親に万引きを繰り返していた事実を知られることで盗りたい気持ちがなくなったそうですが、正直に話すこと・隠し事をしないことの大切さはわたしも痛感しています。クレプトマニアについてはまだまだ情報が少なく、患者本人も気が付いていなかったり、周囲の理解が進んでいないなど正直に話したり、助けを求めることが難しい状況が続いています。この状況を少しでも改善できるよう、情報発信を続けていきたいと思いました。
最後になりましたが、長時間のインタビューに応じていただいた東雲さん、本当にありがとうございました!
他のクレプトマニア体験談はこちらです。 ⇒ クレプトマニア体験談
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今回のようにインタビューをさせていただく形式でも結構です。
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