生きづらさの原因と向き合う ー 性自認について

思うことあれこれ

わたしは以前から、自分の性にしっくりこない感覚がありましたが、それをうまく表現する定義に出会ってきませんでした。それが入院時のサイコドラマをきっかけに、Xジェンダーという表現に出会いました。そして、「わたしはXジェンダーだ」と認識するようになりました。

Xジェンダーとは?

X ジェンダーとは、「出生時に割り当てられた男性もしくは女性の性別のいずれかに二分された性の自覚を持たない人々」を指します。 自分の性別を「男でも女でもない」あるいは「男でも女でもある」あるいは「その間で揺れている」などと認識している人々のことで、心と体の性別が一致せず、かつ男女どちらか片方のみに属した性自認を持たない人々です。重要なのは心と体の性別が一致しないだけでなく、男女どちらか片方のみに属した性自認を持たないという点です。そのため、心と体の性別は異なっていても男女どちらかの片方に性に強い帰属感を持つ性同一性障害とは異なります。

一方、性自認と生まれたときに割り当てられた性別が一致している人のことをシスジェンダーと言います。「生まれたときの体が男性として診断され、自身も男性だと思っている人」・「生まれたときの体が女性として診断され、自身も女性だと思っている人」のことであり、多くの人がシスジェンダーだと思われます。

わたしの性自認はXジェンダー

わたしはXジェンダー(F t X)です。身体は女性(戸籍は女性)ですが、こころは中間です。男ではないという自覚はありますが、かといって女かと言われるとまあそんな感じかなというところで、100%女性とは思えません。今は割合でいうと6~7割方女性といった感じでしょうか。身体の性は出生時の外性器の形で判断されるものであり、それが戸籍上の性になることには納得しているので、戸籍上女性であることには特に不満はありません。そして、自分の身体は女性であると認識しているのですが、自分の身体に違和感・不快感というか、女性らしい体型になることに抵抗感があります。男性器がないことに違和感や抵抗感はないのですが、胸が大きくなることや女性らしい曲線的な体形になることには強い抵抗感があります。逆に喉仏やゴツゴツした手など男性的な体型に憧れがあります 。「自分は女性として生まれてきている自覚はあるが、その身体には強い抵抗感がある。男性になれるならなりたいし、なぜ男性として生まれてこれなかったのかという思いが消えない 」そんな感じです。

また、アセクシュアル・アロマンティック(他者に対する性的な惹かれや恋愛感情の欠如、性的な行為への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しない。ドキドキ・ムラムラしない。)だとも感じています。男性を見て、「かっこいいな」と思うことがありますがその先にあるのは恋愛感情や性的な関心ではなく、「ああなりたい」・「男だったらよかったのに」というような感情です。女性に対しても、恋愛感情はありません。ないというか、よくわからないといった感覚です。

生きづらさとは認識していなかった

体型への違和感、性的感情・恋愛感情が分からないということについて、10代の頃から普通の人とは違うのではないかという認識はありました。でも「このくらいのズレ感は他の人にもあるのかも?」、「時間経過と共に変化するのではないか?」とも思っており、悩むというほどではなかったと思います。性同一性障害のことが話題になった大学生の頃には自分が性同一性障害なのではないかと考えたこともありましたが、「男になりたいと思っているということは、男だとは思っていない」と考えていたので当てはまらないと思いました。またその中間としてXジェンダーという性自認があることを知らなかったこともあり、「性同一性障害ではないからやっぱり女なのかな」と考えていました。

この身体と心がずれている感覚が、身体は女だけど心は男8割女2割というようにズレが大きければ、その違和感が強くなり「やっぱり周囲とは違う」という自覚も強く持ったのかもしれません。しかしズレが小さく、いずれ変化して普通になるのかもしれないという思いもあり、あまり深くは考えてきませんでした。抑え込めば何とかなると思っていたのかもしれません。そして、自分の感情を抑え込み続け、その違和感ときちんと向き合うことはありませんでした。

恋愛感情が乏しく、性的指向がよくわからなかったことも性自認についてあまり考えなかった要因の一つです。高校までは低体重が続いていたこともあり、ホルモンバランスの問題で恋愛感情が湧かないだけで、いずれわかるようになるのかもしれないとも考えていました。また「そういう人に出会ってないからだ」と言われると、出会いがあれば男の人に恋愛感情を抱くのかもしれないと考えることもありました。性的指向がシスジェンダーとは異なると断言できず、きちんと向き合うことはありませんでした。今の時代ほど性の多様性について認識が高まっている時代ではなかったので、性的マイノリティの話題になるのはL(レズ)・G(ゲイ)・B(バイセクシャル)・T(トランスジェンダー)がほとんどで、自分が感じている違和感にフィットする概念に出会えなかったということも性的マイノリティであることを自分事として考えなかった要因になっています。そんなこともあり「Xジェンダー・アセクシュアル」という性自認については「これだから生きづらい」と認識することはなかったです。

また、男性として生まれてこれなかったことに対して何とも言えない申し訳なさのような感情があります。「どうして男性として生まれてこれなかったんだろう?」、その感情は常に心の中にあります。私は姉と二人の姉妹ですが、 両親や親族から「家を継ぐように」とか「もう一人男の子がいた方が良かった」など 、男として生まれてくればよかったのにとプレッシャーを感じるような言葉をかけられたことはありません。むしろ気にしなくていいと言われるくらいです。でも、ふとしたときに「自分が男に生まれてくることができていたらよかったのに」と思ってしまうのです。うまく表現できないのですが、「なぜ女に生まれてきたのだろう?」ではなく、「どうして男に生まれてこれなかったのだろう?」という感じで「自分が女である必要性を感じられない、女であることの意味を見いだせない」というような感覚なのです。自分ではどうすることもできないこと、自分の責任ではないことですが、どうしても自責の念に駆られてしまいます。しかし、これも生きづらさと思うことはなかったです。というのも、このような感情を持たない人がほとんどであり、葛藤することもないということを考えたことがなかったからです。

幼稚園生・小学生の頃のこと

わたしが覚えている限りで最初に X ジェンダーっぽい行動をしたのは幼稚園の時です。寒い時期になると体操服の上着として男の子は青、女の子はピンクのスモックを着るのですが、わたしはピンクのスモックを着るのが嫌で一人だけ半袖でガマンしていました。先生に着ない理由を聞かれても、本当のことは言えず「寒くないから」と嘘をついていました。「青いスモックが着たい」とは言えませんでした。

また制服は男の子は角襟シャツに蝶ネクタイ、女の子は丸襟にリボンなのですが、わたしはずっと角襟に蝶ネクタイがしたいと思っていました。幼稚園の制服についてはスカートは嫌ということよりも、この角襟・蝶ネクタイが着たいと思っていたことを強く覚えています。

小学校に入った最初のうちは母が用意したスカートも履いていましたが、あまり好きではなかったと記憶しています。1年生の時に野球が大好きになり、グローブを買ってもらって野球をやるようになりました。身体も大きく、それなりに上手な方だったと思います。同学年には野球をやっている友達がほとんどおらず、1人で壁当てをやったり、4年生の男の子に混じって野球をやっていました。友達と遊ぶときは男の子のグループに入ることが多かったです。

小学校3年生の時には少年野球チームに混ざって活躍している女の子がいるというニュースを見て、少年野球に入りたいと考えるようになりました。母と一緒に少年野球のチームに入団させてもらうようにお願いをしに行ったのですが、女の子であるということを理由に断られてしまいました。まだそういう時代ではありませんでした。あと3年遅く生まれていたら、少年野球チームで野球ができていたかもしれません。また一緒に野球をやることで、その実力差を感じ自分が女であることを受け入れ、心のモヤモヤが減っていたかもしれません。

野球やサッカーが大好きで男の子に混じって遊ぶような子供でしたが、髪が長かったので男の子に間違われることはありませんでした。小学校四年の時に髪の毛をバッサリ切り、男の子らしさに拍車がかかりました。服装についても親から強制されたり反対されることもなかったので、どんどんと男っぽくなりました。 父にネクタイの締め方を教えてもらい上機嫌でした。 声が低めではきはきしゃべること、名前が男女どちらともとれる名前だということもあり、男の子に間違われることもしょっちゅうでした。むしろ女の子に見られるほうが少なかったです。基本は男の子に混じって遊び、女の子グループでもやんちゃキャラで振舞う、そんな感じでした。小学校4年生の文集には、はっきりと「○○は男だ!と言われたい。」と書いています。 周囲の友人とはそういうことを言っても受け入れてもらえるような関係性ができていました。

学年が上がるにつれて女の子と一緒のグループに入る割合が多くなりました。その中でも男の子のように振る舞いましたが、ずっとわたしのことを知っている友人たちからすればそれがごく当たり前でした。服装も段々と男女差が出てきましたが、わたしは男性的なものを好み、芸能人が履いているロールアップのジーンズやチノパンに憧れるような子供でした。卒業式にはジャケットにネクタイで出席しました。また、目立つことが好きで、リーダー格のポジションになることが多かったです。運動会の選手宣誓、学芸会では主役級、児童会長、何かと目立つことをやっていました。周囲もそういうキャラだと思ってくれていました。小さい頃からわたしのことを知っている友人の中には、ごくごく自然に自分らしく振舞えるわたしの居場所がありました

身体の女性化が嫌だった 

風向きが変わり始めたのは小学校6年生の頃、駅を挟んで違う学区に引っ越し中学校から違う学校に行くと決まったことが大きく影響しています。引っ越しを決める時には両親から「学校が変わることになるが引っ越したいか?」と聞かれました。 わたしは引っ越すこと、それによって中学校が変わることに賛成でした。引っ越す前に進学する予定の学校では、制服でスカートを履かなくてはなりませんでした。ところが引っ越し先の中学校は制服がブレザーのみで、下は何を履いても許されました。女子でもキュロットやズボンなどを履くことができ、スカートを履かなくてもよかったのです。わたしにはそれがとても魅力的に感じられました。そのくらい、スカートを履くのが嫌でした。

この頃に気になり始めていたのが体型の変化です。女性的な体型になることに強い抵抗感がありました。身体が大きい方だったので、生理が来てしまうのではないかという不安もありました。摂食障害の原因として成熟拒否、つまり身体の女性的変化を拒否する心理が働くことがあると言われます。そのような成熟拒否の場合は大人になることを拒んでいて少女っぽい格好をする人も多く、女性であることを拒否しているわけではないと思います。一方わたしの場合は大人になりたくないというよりも、女性の体型になりたくないという感覚です。成熟拒否ではなく女性化拒否なのだと思います。かといって、身体を男性化させたいかというと、そういうわけでもない。男性器がついていないことには違和感も抵抗感もなく、欲しいとも思いません。ごつごつした感じに憧れる部分はありますが、毛が濃くなってほしいとは思いません。ですが、胸が大きくなったりボディラインが曲線化することに強い不快感・抵抗感があります。「女性としての特性を消したい」、そう思ってしまうのです。ぽっちゃりとした体型をからかわれたことを気にしたこともあり、小学6年生の冬にダイエットを始めました。

中学校での行動の変化

中学校は転居先の学校になり、小学校で一緒だった友人とは別の学校になりました。中学校に入ると、小学校の時には遠慮なく振る舞えていた男っぽい言動を控えるようになりました。小学校の頃にはわたしの男っぽさを理解している友人が大勢いて、遠慮なく自分らしく振舞える居場所がありました。また1学年150人と人数が多かったので 、皆に好かれなくても気の合う仲間で集まればいい、そう思えました。ところが進学した中学校は一学年50人に満たない小規模校、みんなに嫌われないように振舞う必要があると考え、周囲の反応を気にするようになりました。今までのように男の子っぽい自分らしさを出すことは良くないのではないか、そう考えるようになり、言葉づかいや行動の男っぽさを抑えました。自分らしさを意識的に消そうとしたのです。自分の持つ男っぽさを”隠すべきもの”と思ってしまいました。

仲間外れにならないように周りと合わせる努力もしました。周りの友人達が当時流行っていた男性アイドルグループの話題で盛り上がっていても、わたしにはピンと来ませんでした。わたしには男性に対する恋愛感情がなく男性アイドルを見て心がときめくという感覚がわかりません。わたしが感じるのは、「あの服いいな、かっこいいな」、「ああいう風になりたいな」という男になりたいという思いです。また、いわゆる恋愛トークも気を使いました。好きな先輩・クラスメイト、誰かいないの?という話題になっても全然ピンとこないのです。それでも誰が好きと聞かれれば他の子に同調してみたり、わざとかぶらないように選んでみたりと、周りの様子を伺って話を合わせていました。自分の気持ちを汲み取るのではなく抑え込み、周囲の振る舞いを伺うことが当たり前になっていきました。

いじめや仲間外れの対象にはなることもなかったので、周囲からはもちろん、わたし自身もも人間関係に苦労しているとは感じていなかったと思います。でもなんか距離がある、馴染めているとは思えない、こころを許せるような仲の良い友人を作ることもできず、自分の居場所があると思うことはできませんでした。かといって、誰かに相談しようとも思えませんでした。小学校の頃の友人とも遊べる距離に住んでいましたが、連絡を取ることはありませんでした。「小学校の友人と仲良くしたら、それは逃げ。今の中学校でうまくやらなくては」というような思いはありました。「中学校が変わることについて自分が希望したことだから、この状況になっているのは自分のせい。そこに文句を言ってはダメ」、そう強がっていたのだと思います。

小学校6年の時に始めたダイエット、それが中学校ではエスカレートし摂食障害になりました。体重が減少し入院した時期もありましたが、生徒会役員をやったり合唱祭で指揮者をやったりと相変わらず目立つことをやっていました。口数も多く、周囲から見れば自分の感情を抑えているようには見えていなかったとも思います。でも今思い返してみると、本当の自分らしさは抑え込まれていて窮屈を感じていただろうなと。身体の女性化拒否に加え、 周囲に合わせるために自分が持つ男性的な部分を抑え込むことによるフラストレーションが摂食障害の大きな要因になっていたと思います。スカートを履かなくて済むからと、軽い気持ちで自分で選んだ学校でしたが、違う部分で躓きました。

大学・専門学校の頃は自分らしくいられた

中学校の時に発症した摂食障害ですが、症状が落ち着いてた時期もあります。それは大学・専門学校の頃です。その頃は体重が増え、身体が曲線化することを良くは思わなかったですが、仕方ないと受け入れることができました。その大きな理由が男っぽい言動を抑え込まなかったことだと思います。言動で自分が持つ男性的な部分を出せることで、身体の女性化については受け入れられるという感じでこころのバランスが取れていたのだろうと思います。大学の頃は運動部のマネージャーとして活動しましたが、この頃に体重が一気に増えました。 体力も必要だったので、仕方ないかなと思えた部分もあったと思います。運動部にはモチベーションの高い仲間が集まっていたので、わたしが強い口調で意見しても否定されない雰囲気がありました。周りの顔色を伺うことなく遠慮なく意見を言うことができ、男っぽい言動をしても受け入れてもらえる、そこにはわたしの居場所がありました。自己肯定感が満たされていたのだと思います。

その頃には服装も男性的なものが多かったです。大学2年時の祖母の葬儀の時にはスーツにネクタイ姿でした。祖母の遺品整理で紋付き袴が出てきたので、直後に迎えた成人式では紋付袴で写真を撮りました。姉が成人式の時に振袖を誂えていたので、母からはその振袖にあう帯を購入することを提案されましたが、わたしは断り、そのお金でスノーボード一式を購入しました。そういうことを許してくれる両親でした。成人式当日はスーツにネクタイを締めて参加しました。小学校の友人と参加しましたが、小学校の頃を知る友人たちはスーツにネクタイ姿のわたしを見て「変わらないねー」という反応でした。中学校時代の友人は体形の変化も含め驚いていたのではないかと思います。大学の卒業式もジャケットにネクタイ、ヘアスタイルは当時流行りのアシンメトリー、これは男に見えるようなという見た目でした。部活同期の8人の女性で写真を撮りましたが、他の7人は袴姿の中1人ジャケット姿でした。男性に間違われることもしょっちゅうで、特に年配の方は固定観念が強いせいか、よく男性に間違えられました。大学では3つのゼミに入りましたが、3人の教授は3人ともわたしを男だと思っていました。

専門学校の頃も同じような感じでした。 大学を卒業してから専門学校に入ったので周囲の友人は年下が多く、リーダーキャラ、何かと目立つ存在でした。男性的にふるまえたことに加え、リーダー格の位置にいたので自己肯定感が満たされていたというのも大きく、ここでも自分らしくいられたと思います。大学・専門学校の友人に「わたしはXジェンダー」だと伝えましたが、「ま、そうだろうね」というような今更驚くこともないというような反応でした。

社会人になり、自分らしさを抑え込む

再びバランスが崩れたのは社会人になってからです。社会人になるということジェンダーロールを意識し、自分らしい男性的なふるまいを抑え込みました。大学・専門学校時代のような自由なふるまいはもうおしまい、自分が持つ男性的な部分は抑え込まなくてはと自分の中でスイッチを切り替えました。

最初に就職した職場はパワハラ・モラハラが横行するような職場で、上司の目を常に気にするような状態になりました。その環境では女性的な役割を求められることもありました。仕事中は指定のユニホーム(パンツスタイル)があることもあり服装や外見についてうるさく言われることはありませんでしたが、対人の業務だったので言動については「お前は声に可愛げがないから、もっと声を高くしろ」、「女なんだから、もっとにこやかにしろ」といった「女らしさ」・「女としての愛嬌」のようなものを求められました。わたしは対人の印象を良くするためというよりも、上司に認められたいという思いで自分なりに女らしくしました。また、上司とお酒を飲んだ後に婦人服のお店に連れていかれ、「たまにはこういう服装もしろ!」とスカートやシャツなど一式を買い、忘年会の服装を指定されたこともありました。女性らしさを求められることは本当に嫌でしたが、とにかく上司に認められたいという思いで働いていたので、反発することもありませんでした。
社会人としてきちんと振舞わねばという意識を持ったことは職場以外にも影響しました。学生時代にはスーツにネクタイで参列した葬儀もスーツに真珠のネックレスをして参列するようになりました。

社会人になってからは体重は減少し、体型的な女性らしさは減りました。自分で意図的に減らしたという感覚はありませんでしたが、言動で男性的な一面を抑え女性的な面を意識することで、それに反比例するように体型的な女性らしさを消し、こころのバランスを保とうとしていたのではないかと思います。

他人軸であることの影響

こうやって振り返ってみると、中学生の時にしても、社会人になってからにしても、自分らしい言動(自分の男性的な部分)を抑え込んだ時にこころのバランスが崩れていることがわかります。中学の頃であれば友人、社会人になってからであれば上司など、他人の目を気にして言動の自分らしさを抑え込んだ時が危険です。女性的な体型が受け入れられなくなり、矛先が体型に向き体重を減らし女性的な特性を消そうとしてしまうのだと思います。「自分はこうありたい」という自分軸がぶれてしまい、「他人にどう見られるか?」という他人軸で言動を選ぶようになると危ないということだと認識しています。

わたしは誰かに認めてもらいたいという承認欲求を強く持つと、自分の苦しさを平気で無視する行動をとってしまいがちです。思うと生きづらさの原因としてXジェンダーであることは大きな要因だと思いますが、「他人軸で行動して、承認欲求を満たそうとしてしまいがち」というわたしの考え方のクセも大きく影響していると感じます。

Xジェンダーと認識するようになって

X ジェンダーの概念を意識するようになったのは入院中のサイコドラマ(言葉ではうまく表現できないことを即興的なドラマで表現することで、自己洞察・自己理解を深める心理療法)に参加したことがきっかけです。サイコドラマに参加した他の入院仲間が、自分の性別を「女性であるがちょっと男性も入っている、8割くらい女性」と表現したのを聞いて何とも言えない共感を抱きました。「その感覚、わかる!わたしにもある!」、そう思いました。そこからいろいろと調べたところ X ジェンダーという概念があることわかりました。そしてX ジェンダーについて書かれた本を読み、「わたしは X ジェンダーだな」と認識するようになりました。身体的特徴について「反対の性になりたい」というのではなく「今の性の特性を消したい」という感情を持っていると書かれており、 まさにこれだと感じました。

小さい頃からしょっちゅう男の子に間違えられていました。間違えられることは複雑な気持ちでした。男の子に見られて嬉しい一方で、自分は男の子ではないと認識する瞬間でもあったからです。男だったら少年野球に入ることもできたし、着たい服もどう見られるかを気にすることなく思う存分着られたのではないか、履きたくないスカートを履かずに済んだのではないか、そんな思いを抱いてしまうのです。これにはXジェンダーであると同時に、何で男として生まれてこれなかったという自罰的な感情を強く抱いていることを感じます。自分は男ではないとはわかっているのですが、今でも男だったらよかったのにという思いが消せない、女であることをうまく受け入れられません。そして、それは自分のせいなのではないかと感じてしまいます。変えられないことは分かるのですが、女性として生まれてきたことに意味を見いだせない、納得がいっていない感じがします。そしてそれを受け入れられないことはが自分の努力不足だと感じてしまいます。

身体が女性化することには、今でも強い抵抗感・嫌悪感があります。違和感もあります。逆にのどぼとけや手がごつごつした感じなど、男性的な特徴に憧れます。子どもが好きなので、子どもが欲しいと思うこともありますが、自分が妊娠・出産することは想像できないというか、そこまでして子供が欲しいとは思えないという感じです。

「わたしは X ジェンダー」そう考えて過去の記憶を思い返したり今の自分の気持ちと向き合ってみると、自分ですら自分の本当の気持ちがわかっていなかった、抑え込んでいたということがわかるようになりました。 いろんな場面で自分でも気づかないうちに自分を責めており、生きづらさが積み重なっていたのではないかと思います。

対人関係の中で感じるストレス

対人関係の中でのストレスを感じることはありました。でも、そこまで大きな問題だと思っていなかったというか、このストレスがない状態を想像したことがありませんでした。振り返ってみると中学生になる頃にはXジェンダーであることで、自分のやりたいことをガマンする、ガマンせずにやったらやったで周囲の反応を気にする、周りと話を合わせるために周囲の顔色をうかがう、それが当たり前になっていました自分の感情を抑え込み、本当の自分の気持ちがわからなくなっていたのかなと思います。思い返してみると、そんな場面がたくさんありました。

それなりの年齢になれば恋愛や結婚・出産の話題にもなります。そのような話になっても、中性的なわたしには話を振らない方がいいだろう、そのように配慮してくれていると感じることもよくあります。話を合わせるなど自分が気を使うのはよいのですが、相手に気を使ってもらうことに申し訳なさを感じます。その結果、この場にいていいのかなと思うこともよくあります。

服を選ぶ時もそうです。私服はそれなりに自分が着たい格好をしていますが、仕事などでは気を遣わなくてはいけない場合もあります。それでもスカートは履きたくないのでパンツスタイルを選ぶのですが、その時に選ぶ基準は「着たいもの」というよりも「これぐらいなら自分も許せるし、周囲からも女性と認識されるかな」という基準です。友人の結婚式でもワンピースは着たくない、だからいつもパンツスタイルです。そして失礼のないようにお化粧をして参加します。でも本当は三つ揃えのスーツが着たいです。式場で目に付く男性のジャケット姿を見てうらやましく思います。今でも紳士服売り場の前を通ればビシッとスーツが着たいなと思います。だったら着ればいい、そう思うこともなくはないですが周囲の目が気になってしまいます。「自分の気持ちと世間体の妥協点を見つけ、自分を納得させる」、そんな葛藤を繰り返してきました

男に間違えられることは今でもよくあります。例えばお店のトイレで女性用に入っていくとジロジロ見られたり、女性用で並んで待っているわたしを見て、間違っているのではないかと入り口を確認しに行かれたりすることもあります。スーパー銭湯の受付で、男女どちらのカギを渡そうか判断しかねている様子を見て「女です」と申告したこともあります。また、男性に間違えすごい勢いで謝られたあとに「いやー、男性にしては優しそうな顔をしていると思ったんですよ」、「なんかかっこいい印象だから」などのお世辞を言われることもあります。わたしとしては間違えられることはあまり気にしていないので、何度も謝られるような対応にむしろ恐縮し、それがストレスになります。とりあえず、間違えられる自分が悪いことにしておけば気が楽、そんな感覚でした。無意識的に自分を責めていたと思います。

最近の状況

今は大学や専門学校の頃に比べると言動は男性的ではありません。社会人としての立場もあり無意識的に抑え込んでいるのかもしれませんが、意図的に抑え込むことはしてないつもりです。年齢を重ねたことで落ち着いたというか、そのようなエネルギッシュな部分が減ったということもあると思います。

体型に関しては身体が曲線化することへの抵抗感は強いままです。Xジェンダーという認識を持つようになってからは、むしろその抵抗感を肯定しており、強くなっているかもしれません。それでも、摂食障害の問題を何とかしたいという思いもあり、いろいろと考えます。過食嘔吐で身体を痛めつけているのだから、外科的に胸を小さくすれば太ることへの抵抗感が減らせるかもと考えたりもします。実際に行動には移していませんが、そのような選択肢があるということが頭にあるだけでも違うとは感じます。また、最近はなべシャツ(胸を小さく見せる下着)や女性的な体型をカバーするアパレルブランドなども増えており、体型をコントロールする以外の方法もあることも意識するようになりました。40歳を過ぎ、今後は体形の女性的特徴も徐々に目立たなくなるのかなという期待もあります。でもやはり体形が女性化することへの抵抗感は強く、ついつい過食嘔吐で体型をコントロールしようとしてしまいます。言ってみれば、Xジェンダーである自分らしさを保つために過食嘔吐を利用しています。

ある心理士の方に、摂食障害のこと・Xジェンダーであること、過食嘔吐に意味を見出して生活パターンの中に組み込まれていることをお話ししたら、「過食嘔吐は悠さんのアイデンティティですね」と言っていただいたことがありました。そういう捉え方もできるんだなというか、どこかほっとしたような感覚がありました。過食嘔吐に意味を見出してしまっていることは決して良いことではないのですが、自分らしさを保つための方法として頼っているというのが本音です。過食嘔吐について、悪者扱いするのではなく自分らしさを保つための方法であると認めたうえで、他の方法に変えていくことを模索していきたいと思います。

オープンにして生きづらさと向き合う

今までも自分が男っぽいところがあるとか、普通ではないという認識はありましたが、それを生きづらさとまでは思っていませんでした。でもこうやって文章にして改めて振り返ってみると、本当にやりたいこととは違うことをしていたり、仕方ないこととして我慢したりと自分の感情をおざなりにしていたと思います 。幼稚園の頃の記憶などは抑え込んできたもので、Xジェンダーと認識して振り返る中で思い出しました。「シスジェンダーだったら感じることのない気苦労を、いろんなところで感じていたんだ」、「こういうのを生きづらさというのかな」そんなことにやっと気が付いてきた感じがします。

世の中のハサミの多くは右利き用に作られていて、左利きの人にとって使いにくいそうですが、それが当たり前だと思っている左利きの人だと使いにくさに気が付きません。使いにくいと思っていたとしても、それが当たり前だと思っています。また、右利きの人は左利きの人の使いにくさに気が付きません。左利き用のハサミを使うことで左利きの人は「右利きの人は普段からこんなに使いやすいハサミを使っているのか!」と初めて気が付き、右利きの人は左利きの人の話を聞いてその苦労を知ることになります。ジェンダーの多様性の理解が深まってきている中でわたしが抱いている感覚は、この左利きの人の感覚に近いと思います。

今回Xジェンダーであることをオープンにしようと決めたのは生きづらさの根っこの部分と向き合う中で、ジェンダーの問題についてもためらいなく外に出したいと思うようになったからです。ミーティングなどで自分の気持ちを正直に外に出そうと思ってもジェンダーのことについてはオープンにしていなかったので抑え込んでしまうことが多く、そのことで根っこの問題と向き合いきれていない自覚がありました。そのためらいがなくなれば、今よりも正直な気持ちを言語化・外在化しやすくなると思うようになりました。

また自分軸が持てず他人軸になりがちで周囲の目を気にしすぎてしまうことは、Xジェンダーであること以上に問題だと感じています。Xジェンダーであることは変えられませんが、周囲の目を気にしすぎてしまうことは変えていくことができると思います。オープンにすることについて周囲の反応が気にならなかったわけではありませんが、今はそれよりも正直に自分を出せることが重要だと思えるようになりました。「他人にどう思われてもいい、それよりも自分の気持ちに正直になりたい」と開き直れたように思います。生きづらさを減らすために自分らしさを出す、そのためにはオープンにした方がいいと思うようになりました。このあたりは以前とは違う自分に変わってきたなと感じる部分です。

またなるべく正直になることを意識するようになったことで、隠していることに違和感・罪悪感というか、後ろめたさのようなネガティブな感情を抱くようになったこともあります。なにか、隠していることにムズムズする、そんな感覚です。さらに、多様性が受け入れられやすくなってきているという社会の変化も大きく影響しています。

オープンにするために、自分が抱えてきた思いを文章にしました。すると自分の気持ちが整理され、今まで生きづらさを抱えてきたんだということが腑に落ちたような感覚があります。やはり自分のこころの中でもやもやさせておくのは良くない、ことばや文章にして外に出すと全然違うと感じます。書いている時点からそう感じていて、「他人に言わないとしても外に出すだけで全然違う」と言語化・外在化の威力に驚くばかりです。また過去を振り返ってみると、摂食障害発症前の小学生の頃や症状が落ち着いていた大学・専門学校の頃は自分が思ってた以上に男性的で、社会人になってから随分と男性的な部分を抑え込んでいると再認識しました。自分らしさを抑え込むことで自分でも気が付かない部分で苦しさを抱え、壊れていってしまったんだなと。

オープンにしたからといって性自認が変わるわけではなく、生きづらさがなくなるわけでもないと思いますが、開き直れる部分もあります。抑え込んできた感情や言動を外に出しやすくなることで、少しでもこの生きづらさに変化が出ればいいと思いオープンにしました。これを一つの通過点として、回復に向けての歩みを進めていきたいと考えています。


参考文献:Xジェンダーって何?ー日本における多様な性のあり方 
     Label X 編著   緑風出版  2016年

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