万引きをやめて3年、次の段階へ
入院を機に万引きをやめることができて、この4月で3年になりました。現在の心境などを記録しておこうと思います(2022年4月21日)。
「3年」という期間
「’3’という数字には要注意」、これは依存行為をやめ続ける時によく聞かれることです。3日、3ヵ月、半年、1年、3年など、3や3の倍数にあたるときにスリップしやすいという意味です。万引きをやめ続けて3年、気が緩みやすい時期で油断大敵・過信禁物であるともいえます。
また、「石の上にも3年」とも言います。この言葉は「がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ」であり、それなりに頑張ってきたことを認めてもいい時期でもあるのかなとも感じています。
わたしの場合、それに加えて3年間というのは別の意味があります。クレプトマニアを感染症に例えると感染から発症、そして症状が強く出ていた期間が約3年間でした。わたしは中学1年生の時に摂食障害になりましたが、その頃から摂食障害と他の何かに依存しながら生きてきました。生きるという歩くことがうまくないので、摂食障害という杖を片手につき、もう一方の手には何かに没頭するという杖をついて、何とか歩いてきました。受験勉強・部活・学校の勉強・仕事など、振り返ってみるとその時その時で何かに没頭することを杖にしていました。クレプトマニアになる直前は、仕事に没頭することを杖にしていました。ワーカホリック、仕事依存でした。仕事に依存することで達成感・満足感を得る生活でした。ところが、仕事で自分を追い込みすぎてうつになり、休職しました。1か月で復帰しましたが、職場の配慮により仕事量が減り、仕事に没頭するという杖を失いました。
杖なしではうまく歩けないわたしが新たにつかんだ杖が「節約依存」です。自分の過食用の食材をいかに安く手に入れるか、お店をはしごする生活の始まりです。食費を節約することで達成感・満足感を得るようになりました。そして割引シールの貼り替え、セルフレジでの入力操作などの違法行為を行うようになり、最終的に万引きに依存していきました。
この「うつになり休職し、仕事という杖を失った時点」がクレプトマニアに感染していたタイミングなのではないかと思います。そして万引きには至らずとも様々な違法行為を行う潜伏期間を経て、最初の万引きで発症といった流れです。その後捕まることを繰り返してもがやめられない状態になり、入院前日まで万引きを続けました。この感染から入院までがほぼ3年です。その期間と同じくらい、盗らない一日を積み重ねることができたのかなと感じています。
目的が「盗らないこと」から「生きづらさを減らすこと」へ
万引きを手放してからの最初の1年は、万引きに代わる依存先、歩くための杖を探すことを意識していたように思います。その中で、週3日の仕事とクレプトマニア当事者活動という2つに分散して依存するというスタイルに辿り着きました。2年目は万引き以外の杖に頼りつつ、自分の歩き方の問題、つまり生きづらさの原因にちょっとずつ向き合い始め、問題点を分析していた時期かなと。そして3年目、生きづらさの原因について腑に落ちるところまで落とし込むことができ、そこに向き合おうという気持ちになれた感じです。それが2年半を経過した頃のこと、なんかすっと前に進んだ感覚がありました。その結果、「盗らないこと」を第一の目的に取り組んでいた段階から、「生きづらさを減らすこと」が目的で、結果として盗らない生活を続けるという段階に移行したと感じています。もちろん、いつでもスリップのリスクは抱えており油断大敵・過信禁物ではありますが、向き合うべき問題の優先順位は変化しているのかなといった具合です。
万引きを手放すだけではなく、回復したい
万引きが手放せた当初、先行く仲間に「行為が止まることと回復は別。行為が止まっても、回復を目指し続ける必要がある」といわれ、どこかピンときませんでした。「万引き止められたら、それでいいのでは?」そういう思いがありました。それが多くの先行く仲間とかかわる中で、生きづらさの根っこの問題と向きあい、変化していく仲間の様子を目の当たりにしました。すると「生きるのが楽になっているんだろうな、回復するってこういうことなのかな…」、そんなことをイメージできるようになり「今はまだ万引きを手放しただけ、わたしも回復したい」と思うようになりました。そして、依存行為を手放すことはゴールではなく、また違う種類の課題が見えてくるということがわかりました。手放したことでやっと向き合える段階に来れたともいえると思います。「生きづらさの問題と向き合い改善することで、もっと生きやすい自分になりたい」、そんな感じです。
生きづらさを減らすために、3つの課題と向き合う
わたしの生きづらさの問題として向き合うべきことは主に「アダルトチルドレン・Xジェンダー・最初の職場でのハラスメント」の3つだと考えています。そして、3つに共通する問題が「他人の目を気にして、自分の感情を抑えこんできた」ということです。ちょうど1年前、脱万引き2年を経過した時に書いた文章には「自分の感情がよくわからないことがわかるようになった」とあります。今はそこからちょっと前に進み、「抑え込んできた負の感情が少しずつ分かるようになってきた」という段階にいます。そのためちょっとしたことでも今までにないような負の感情を抱き、イラついてしまうことが多いです。また、その感情の処理の仕方が下手で苦労しています。これは周囲の目を気にして自分の感情を抑えこむことを続けてきたので、成長過程で負の感情をうまく処理する能力を身につけてこれなかった結果なのだろうと思います。そしてそれらの感情の捌け口を依存行為に求めてしまっていたのだと感じています。今は適切な感情の処理の方法を身に着けようと試行錯誤している時期、40代目前にして「遅れてきた反抗期・思春期」を迎えています。これも依存行為に頼らずに生きていけるようになるために必要な段階なのかなと。「自分の本当の感情をきちんと感じ、ため込まずに外に出す」、そして「しんどい時には他人に頼る」、そのあたりは前よりもできるようになってきました。
違う苦しさはあるけど、今の方がずっと楽
万引きを手放したことで、その方がずっと楽であるとやっとわかりました。そして、盗っていた頃に戻りたくないという気持ちは時間が経っても減ることはなく、増えていると思います。かといって、もろ手を挙げて「万引きがやめられて、何の苦しみもなくなった!」と言えるかと言えば、そこまでは至っていません。元から抱えていた生きづらさを依存行為で紛らわしていたわけで、それが露になったことにより違う苦しさがあります。でもやっぱり、今の方が圧倒的にマシなんです。手放せてよかった、こころからそう思います。
そして、めちゃくちゃ頑固なわたしが、変わりたいと思えていて、本当に少しずつですが変われているという実感もあります。これはわたしにとってとても大きな成功体験です。先日、先行く仲間に「3年でこんな段階までこれたの!すごいね!」と言っていただきました。とてもうれしかったです。回復は年単位、やっと根っこの問題と向き合う準備ができたかなと。まだまだ変わる勇気がなく、ビビっていることもたくさんあるのですが、慌てず・焦らず・諦めずに、じっくりと取り組んでいきたいと思います。
依存先を増やしながら回復していきたい
多くの人に支えてもらいながら、3年という節目を迎えることができました。本当に感謝感謝です。絶対に一人では無理でした。以前よりは人に頼ることができるようになってきたので、これから先はもっと多くの人に支えてもらうことになると思います。生きづらさの問題と向き合うのも一人で悶々と悩むのには限界があり、いろんな人に支えてもらう必要があると感じています。「回復とは依存先を増やすこと」、適度に分散しながら、いろんな人に依存していきたいなと。
しかし、言い換えれば3年前は万引きを繰り返し、被害者を生んでいたということです。万引きを繰り返したという過去は変えられません。変えられないからこそ無駄にしない方法を考えていかなくてはならないと思っています。「クレプトマニアによる万引きを減らす」、そのために自分にできることは何かを考えながら、贖罪の気持ちを忘れずに行動していきたいと思います。
節目に書いている文章はこちらです。
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