万引きはしていませんが、摂食障害は続いています

わたしの実体験

複数のアディクションを持つクロスアディクションとの向き合い方について、実体験を書いてみました。

摂食障害とクレプトマニアの合併

わたし自身、摂食障害(過食嘔吐)とクレプトマニアのクロスアディクションです。

摂食障害は中学1年生の時に発症し、すぐに過食嘔吐に移行しました。多少波はあるものの、症状は常にある状態です。 そして、万引きをするようになったのは発症後20年以上が経過してからです。万引きをしていたものは、自分が食べるものだけでした。

万引きを手放すことが最優先

クレプトマニアになり通院と自助グループへの参加を継続しましたが、それでも万引きをやめることができませんでした。そして警察に捕まったのを機に入院することを決断します。

入院治療に取り組むうえで、万引きを手放すことを優先と考え、過食嘔吐が悪化してでも万引きを手放さなくてはダメだと考えていました。過食嘔吐を続けてでも、万引きはやめるということです。というのも、わたしの場合は摂食障害(過食嘔吐)になってからクレプトマニアになるまでの時間的に差がありました。つまり、過食嘔吐はしていても自分の食べるものをちゃんと買っていた時期もそれなりにあったということです。 そのため、過食嘔吐しながら万引きをしない生活も可能だと考えました。

とにかく万引きを手放すことが最優先と言えば聞こえがいいですが、「両方いっぺんにやめるなんて無理、過食嘔吐は許してよ…」と、両方を同時に手放す勇気がなかったというのが本音です。

万引きは手放せた 過食嘔吐はどうなった?

入院治療を経て、万引きは手放すことができました。現時点では盗らない一日を積み重ねることができています。では、過食嘔吐はどうなったかというと、大きな変化はないかなという感じです。変わらず続いています。少なくとも、万引きという依存を手放したことで捌け口が減り、過食嘔吐がひどくなったということは感じていません。

万引きをしていない今思うことは、今の盗らない生活の方が楽ということです。盗っていた頃は万引きがストレスなどの捌け口になっていたと同時に、新たなストレスを生んでいたのではないかと思います。むしろ、万引きによる後ろめたさや捕まることへの恐怖心の方が大きかったのではないかと。そんなこともあり、盗らない生活の方がずっと楽です。過食嘔吐がひどくなるということもなく、他のアディクションに移行するという感じも今はありません。

摂食障害を克服できれば再発のリスクも減る

わたしの場合、万引きしていたものは過食嘔吐用の自分の食べ物です。それ以外は普通に買い物していました。衣服や日用品など、自分のものに対してはケチではありましたが、ちゃんと買っていました。ですので、わたしの場合は過食嘔吐しなくなれば万引きをする理由もなくなります。過食嘔吐を手放すことができれば、万引きの再発のリスクも軽減すると思います。

また、摂食障害(過食嘔吐)を手放すことの取り組みは依存症を手放すことへの取り組みであり、クレプトマニアの回復にもつながると思います。摂食障害とクレプトマニアのクロスアディクションである先行く仲間のお話を聞いても、やはり摂食障害からの回復も必要と言われることが多いです。

わたしの現状

過食嘔吐がなくなれば、クレプトマニア再発のリスクも減る、頭ではわかります。文字にするのは簡単なのですが、なかなか行動が伴いません。やめたいと思えていない、やめるのが怖いというのが正直なところです。

現状では過食嘔吐に依存することで、こころのバランスを保っているように思います。過食嘔吐を無理に抑えようとすることがストレスになり、むしろ症状が強くなったりクレプトマニアの再発を招くこともあり得るのではないかと。依存症の根っこの部分が解決していない現状で、行為を無理に抑えることは難しいのかなと考えています。過食嘔吐を手放すことの恐怖や不安に対するただの言い訳なのかもしれませんが、今のわたしにとって「ハームリダクション(健康被害や危険をもたらす行動習慣をただちにやめることができないとき、その行動に伴う害や危険をできるかぎり少なくすること)」を目指していくことが最善なのではないかと考えています。その中で少しずつ足場を固めて、手放しても大丈夫と思える状態になれたらいいなと思っています。

まだまだわたし自身の問題、「生きづらさ」と向き合っていくことが必要だと痛感しながら過ごす毎日です。

過食を悪者にしない

わたし自身、過食嘔吐を万引きにつなげないために意識していることがあります。それは、「過食を悪者にしない」ということです。

過食を悪いことだと思ってしまうと、それにお金を使いたくない・お金のムダという思いが生まれてしまいがちです。その結果、過食用の食べ物を万引きするという発想が生まれてしまうように思います。万引きを繰り返すうちに、満足感・達成感・背徳感を味わうといった違う目的も出てきてしまったり、食べ物以外のものまで万引きするようになってしまうこともありますが、そもそもの万引きの目的は過食費の節約から始まっていることが多く、それには過食を悪者にしてしまうことが大きく影響していると思います。

「なぜわたしは過食嘔吐に依存してしまうのか?」・「過食嘔吐に何を求めているのか?」、これにはきちんと向き合いました。今のわたしにとっては過食嘔吐に助けられている部分が多くあります。残念ながら過食嘔吐を手放せるレベルに回復していないのです。他の方法では代えが効かないものを過食嘔吐に求めてしまっています。今はそんな自分を受け入れ「過食嘔吐は仕方ない、今の自分にとっては意味のある必要なこと」と思うようにしています。そう思えると「過食用の食べ物にお金を払うのは必要経費だから仕方ない」・「これはこころを保つための治療費のようなもの」と、過食にお金を使うことも受け入れやすくなると感じています。「過食嘔吐に依存する自分を受け入れ、過食嘔吐を悪者にしないことが、盗らない生活を続けていく上での妥協点」というのが正直なところです。

「過食」と「万引き」は別物

一方ではっきりさせておかなくてはいけないのは、「ちゃんと買ったもので過食する」ことは許されても「盗ったもので過食する」のはやはり許されないということです。「過食をしたいのなら必要なものはきちんと買う。それができずに過食用の食べ物を万引きしてしまうのなら過食をやめなきゃだめ」ということは肝に銘じておく必要があります。

「過食」と「万引き」は別々のものです。切り離して考える必要があります。「過食用の食べ物が欲しいがために万引きがやめられない」、「過食に多額の費用がかかり、ついつい万引きしてしまう」、「過食と万引きが切り離せない」のであれば、病院で治療を受ける、自助グループへ通うなど摂食障害の治療を受けることをお勧めします。

いろいろと対策を立てても過食がやめられず、金銭的にも厳しくなってしまったら、万引きする前に周囲に助けを求めるべきです。摂食障害などの依存症者は周囲に助けを求めることが苦手な人が多く、「過食用の食べ物を買うお金が足りなくなったので、お金を貸してほしい」などとお願いするのはとてもハードルが高いことです。過食をしていることを家族など周囲の人に受け入れられていなければ、なおさらハードルが高くなります。しかし、それらが万引きをしていい理由、第三者に被害を与えていい理由にはなりません。借りられる人がいないのなら、消費者金融にお金を借りるという選択肢もあります。実際、ギャンブル依存症や買い物依存症など依存症が原因で借金をしている人は多くいます。それらの依存行為のためにお金を盗むことが許されないのと同じように、過食のために万引きをすることも許されることではありません。被害者を生むのではなく、自分で痛手を負う必要があります。また、仕事をするのが難しく、収入が減っているようであれば行政の窓口に相談するという方法もあります。

「万引きすればお金を減らさずにモノが得られる」、その成功体験があるのでその誘惑にかられるのはとてもよくわかります。でも万引きは被害者を生む犯罪行為です。赦されるものではありません。そしていつか捕まります。「万引きで捕まること」と「買い物をするためにお金を借りること」、どちらが迷惑をかけるでしょうか?「過食を減らすために治療を受ける、自助グループに参加する」、「きちんと買えるように対策を立てる」、「金銭的援助を求める」など他にとるべき選択肢があるはずです。

やめなくても、減らす工夫が必要

過食がやめられない・続けたいのであれば、それなりの工夫が必要です。きちんと買える範囲で抑える必要があります。「過食をやめる」ということが出来なくても、量も、質も、買える範囲で留められるように取り組む必要があると思います。

過食用の食べ物を万引きしているケースでは、お総菜やパンなど手のかからない食材を万引きしていることが多いと思います。また、買ってまでは手を出さない、ちょっと高級なものを盗っていることも多いです。わたしもそうでした。でもこれらを買っていたら、かなりの出費になります。また、盗ることでお金を使わずに済んでしまうから、過食の量が増えるということもあると思います。盗ってた時と同じ質・量のものを買い続けることは難しいことも多いはずです。同じ過食生活を続けて行けば、お金が減る不安から万引きする生活に戻ってしまうことが容易に想像できます。

そこでわたしが「ちゃんと買ったもので過食嘔吐する」ために取った作戦は「出費を抑えるために、手間をかけること」です。わたしは入院で万引きをやめられましたが、退院直後は時間に余裕があったので、材料を買って作り置きの惣菜を作りました。もともと料理が好きなので、苦になりませんでした。安い食材を購入し、自分で作ればそれなりに出費は抑えられますし、自分好みの味付にもできます。また、作り置きおかずを置いておくことで、お店に行っても「家にはすぐに食べられるお総菜がある」と思うこともできます。

わたしの場合、過食嘔吐と言っても、強い衝動に襲われて突発的にやるというより、生活の中でルーティンとしてやっているという感じです。依存症でもありますが、強迫性障害の一面もあるのだと思います。「やらないと気が済まない」、「やらないと落ち着かない」という感覚で、いつも同じようなパターンです。万引きがやめられなかったころはそこに万引きも組み込まれてしまい、「盗った食べ物で過食する」ことがルーティンになっていました。それを退院後には「ちゃんと買ったもので過食する」というルーティンに組み替えることを意識しました。良くも悪くも、今は「ちゃんと買ったもので料理する」ことも含めてルーティンになっているので、万引きと過食は別物になっています。

衝動性が強いタイプの過食嘔吐の場合、調理の手間をかけるのが難しかったり、出費を抑えることにまで頭が回らず自宅近くのお店に駆け込んでしまうなどより対応が難しくなるのだと思います。また、白黒思考が強いために、万引きにしても過食嘔吐にしても「ガマンできた・できなかった」の2択になり、どちらにしても自分を追い込んでしまいがちです。万引きはやめなくてはダメです。でも過食に関しては量や回数を減らすなど、徐々に減らしていくことを意識した方が精神的な負担も少なく、上手くいくのではないかと思います。

周囲の理解のありがたさ

このように、わたしが「過食嘔吐を手放せない自分を受け入れる」、「過食嘔吐を悪者にしない」ということができているのは周囲の理解がとても大きく影響しています。

わたしの場合、「今のあなたには過食嘔吐が必要で、それによってうまくコントロールしてるんだよね」と同居の家族が受け入れてくれています。過食嘔吐について無理にやめることを求められていない状況であり、ある意味協力的で「過食嘔吐に依存する自分」を受け入れやすい環境を作ってくれています。過食嘔吐に関して言えばイネイブリング(依存症者を手助けすることでかえって依存症の回復を遅らせてしまう周囲の人間の行為)ともいえるかもしれませんが、万引きに依存しない生活をする上ではとてもありがたいことだと感じています。

しかし、こんなに恵まれた環境にいる人ばかりではありません。家族に過食嘔吐を受け入れてもらえず、ばれないようにコソコソやっているという人も多いです。そんな状況であれば、過食嘔吐を悪者にしたくもなってしまいがちです。しかしそのような場合でも、主治医やカウンセラー、自助グループやSNS上のつながり、友人など、ひとつでも過食嘔吐に依存していることを正直に話し、そんな自分を受け入れてもらえる場所があると全然違うと思います。万引きのことを話せなくても、まずは過食のことだけでも受け入れてもらえるとこころがグッと楽になる可能性もあります。とにかく一人で悩まずに、助けを求めることが大切なのだと思います。

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