「共感」はすごい。できなくても、「受け止めてくれる」だけでいい。

思うことあれこれ

「共感」の力はすごいです。仲間による共感は回復への力になります。でも、「盗りたくなる」というクレプトマニアの考え方に共感できる人は限られています。そんな時は「受け止めてくれる」だけでいいんです。

共感という言葉が目に付くようになった

最近、「共感」ということばを目にすることが多いと感じています。 共感の大切さを強調する論調が増えたということもあると思います。また、わたし自身がこの言葉に反応するようになったということも大きな要因だと感じています。

負の感情は強い共感を生む

共感は「他人の意見や感情をその通りだと感じること」という意味です。 それは喜びのような正の感情でも、悲しみのような負の感情でも起こります。

負の感情の共感は「子育ての悩み・不安に共感する」、「介護の悩みを打ち明けて共感してもらう」といったように、同じ悩みや問題を抱えた者同士の間で生まれることが多いです。悩みや問題といったちょっとした弱い部分をさらけ出すことで、お互いの感情が共鳴しあう感じがします。弱みを見せあうからでしょうか、負の感情の共感の方がとりわけ強いつながりを感じられるように思います。

「共感」を意識するようになったきっかけ

わたしが「共感」を強く意識するようになったのは、姉の子育て相談に乗った時に姉に指摘をされたことがきっかけです。

相談された時、それまではアドバイスをすることを意識していました。相談の意味の通り、話し合って解決をする必要があると思っていましたし、相手は解決したいから相談してきていると思っていました。その結果、話を聞いているそばからどうやったら解決できるかを考えていました。きちんと相手の話を聞いていなかったと思います。そして、それっぽいことをアドバイスして、自分は大満足していました。

あるときのこと、姉が子育ての悩みを相談してきたのでいつものように解決へのアドバイスをしたんです。子育て経験のないわたしが、本に書いてあるような解決方法を滔々と述べました。こちらとしては言いたいことを言えて、満足していました。姉からしたらムカつくくらい理路整然としたアドバイスだったんだと思います。そうしたら、「そんなことはこっちだってわかっている。そういうことを求めているのではない」とお怒り気味に電話が終わってしまいました。

意識したことがなかった「共感」

そのあと姉から送られてきたLINEにはこのようなことばが。 「男は解決を求め、女は共感を求める」、 へーと思いました。わたしは女ですが、思いっきり「解決」派だったんです。この「男は~、女は~」という言い回しというか考え方は結構有名だと思います。

もちろんすべての場面でこの言い回しが当てはまるわけではありません。でも、たしかに女性は一方的に話し続けて、話が終わればもうすっきり!ということはよくあります。ですが、「相談相手は解決を求めている」という自分の考え方に何の疑問も持っていなかったので、この言葉すら知らなかったです。そして姉からは「子育てみたいな正解のない悩みを相談するときって、解決を求めてるんじゃない。共感を求めてるんだよ。ただ聞いてくれるだけでいいの。」と言われました。

目からうろこでした。

「共感」の重要性を知った

それまで相談を受けたときには解決に向けてアドバイスをすることに重点を置いていました。自分がアドバイスをしたいからであって、相手が何を求めているかは考えていませんでした。相手の話を聞きながら、頭の中ではどんなアドバイスをすべきかを考えていました。相手の話をちゃんと聞けていなかったと思います。それに対して「共感」することを意識すると、相手の話を聞くということに集中します。共感を意識することで、相手の話をじっくり聞くことを意識することができるようになりました

また、以前は自分が人に相談するときは解決に向けてのアドバイスを求める時に限定されていたように思います。「話を聞いてもらいたい」という程度の悩みは、自分の中にため込んでいました。「共感」ということを知って、自分自身に「共感してほしい」、「話を聞いてほしい」という気持ちがあることに気が付きました。今までその気持ちに気づいていなかった分、人一倍強いのかもとすら感じています。その結果、以前よりは自分の弱みをさらけ出せるようになったように思います。

共感できる場としての自助グループ

依存症者が共感を求めて集まる場として、自助グループがあります。

自助グループとは「なんらかの障害・困難や問題などについて、同じ問題・悩みを抱えた当事者同士が自発的につながることで結びついた集団」のことです。自助グループで行われるミーティングは当事者のみが参加でき、その発言については言いっぱなし・聞きっぱなしのスタイルが多いです。そしてお互いの秘密を守ることがルールになっており、安心して心の内を話すことができます。

言いっぱなし・聞きっぱなしのスタイルなので、そこにあるのは解決やアドバイスではなく「共感」です。依存症者の多くは、依存状態になってしまったことに後ろめたさを抱えています。そのため、依存症のことについて話をするのをためらいがちです。 クレプトマニアは依存行為が被害者のいる犯罪なのでなおさらです。分かってもらいたい気持ちはあるのですが、正直に話すことに怖さを覚えるのです。また、実際の依存症の辛さは当人しかわからないものがあります。そんな時に自助グループのミーティングで「共感」することはとても気持ちを楽にさせてくれます。同じ悩みを抱えた当人同士による共感は、本当に強いです。また、依存症からの回復に向けて頑張る他の人の姿は、自分自身の気持ちを奮い立たせてくれます

自助グループに行き、自分の話をすることは自分を見つめなおすという意味でも役立っています。そして、それ以上に他の人の話を聞くことによる共感、同じ悩みを持った仲間の存在を知ることがとても心強いです。この自助グループでの「共感」は、今のわたしには大きな支えになっています

受け止めてくれるだけでいい

悩みや不安を打ち明けたとき、必ずしも共感してもらえるとは限りません。

クレプトマニアの場合がそうです。 「お店に入ると万引きしたくなってしまう」という気持ちを共感できないのは当然です。 家族や仲の良い友人に話したところで、盗りたい気持ちに共感してくれというのには無理があります。 それは話をする本人もわかっていることだと思います。変に共感してくれたようなことばをもらっても、逆に嘘くさく感じてしまうことすらあります。

そういう時は受け止めてくれるだけでいいんです。「解決」に向けてのアドバイスを求めているわけではありません。「共感」してもらえるとも思っていません。ただ、そういう状態であると理解してほしい、受け止めてほしいんです。

わたしは先日友人に、クレプトマニアだと打ち明けました。その時の反応はとても自然でした。自然に受け止めてくれました。無理に共感しようとせず、自然に受け止めてくれたんです

本当に、ありがたかったです。

依存症を受け止めてくれる社会を

友人にクレプトマニアだと打ち明けたこと、そして温かく自然に受け止めてくれたことでわたしは話をしてよかったと思えました。そして、心のもやもやが一つとれました。これは依存症からの回復、盗らない一日を過ごすうえでとてもプラスになることです。

有名人の薬物事件が起こると依存症に対する報道が盛んになります。依存症に対する理解は着実に進んでいると思いますが、まだまだ十分とは言えません。依存症に対する間違った発言などの心ない報道は、周囲の無理解や偏見を生みます。これは依存症者の悩みや不安を受け止めてもらいにくい社会を生み出すことにつながります。依存症であることの後ろめたさを助長し、自分の苦しさを抱え込んでしまう状況に追い込みます。その結果、精神的に負担となりさらに依存行為に走ってしまうという悪循環を招きかねません。

クレプトマニアによる万引きなどの窃盗は依存症が原因であっても、犯罪は犯罪です。しかも窃盗は被害者のいる犯罪であり、許されることではありません。他人からすれば「万引きが止められない」なんてことは理解も、共感もできないと思います。怒鳴り散らしたくなる人もいるでしょう。ですが、そこで受け止めてもらえたら、グッと気持ちが楽になるんです

長い目で見て窃盗や薬物、アルコールなどの依存症を減らすこと考えたら、精神的に追い詰めることは得策ではないと言えます。依存症者のカミングアウトを受け止めてくれる社会になってほしいと、切に願います。

友人にクレプトマニアだと打ち明けたときの話はこちらです。

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