「依存症とは、人に依存できない病気」

2021年9月19日

依存症の人は、人に頼ることが苦手な人が多いです。人に弱みを見せる強さがない状態とも言えます。

「依存症」はイメージがしにくい

「依存症」という病気はイメージがしにくいものです。 病気と言っても、熱が出るとか血圧が高くなるというような客観的なデータが出るものではありません。

依存症がどんなものかを説明するのにいろんな表現があります。その中の一つに「依存症とは、人に依存できない病気」という表現があります。この表現は依存症の人、依存症になりやすい人のイメージを膨らませやすい表現だと思います。

人は誰でも何かに依存している

依存とは、”他のものにたよって成立・存在すること”です。程度の差はありますが、人は何かしらに依存しているのだと思います。そして、依存が自分の意志ではコントロールできずに、ある事柄に病的なレベルまで依存している状態が依存症だと言えると思うのです。

生きていく上で、何かに依存するのは普通のことです。何かに頼りながらうまく生活しているんだと思います。スポーツや習い事などの趣味や興味も、その方法に依って気分転換・ストレスを発散している点で依存ということができます。依存できる事柄が複数あって適度に依存を分散できれば、特定の事柄に病的なレベルに依存してしまう「依存症」までには至らないと思うんです。

依存症になりやすい人は、この依存先を適度に分散させるというのが下手です。依存できる趣味や興味を持ち合わせていないことが多々あります。

依存症の人は人に頼るのがうまくない

そして何より人に依存すること、人に頼ることが苦手な人が多いように感じます。人に頼らず、自分で頑張ろうとして自分を追い詰めてしまうタイプです。頑張り屋や完璧主義の人にこの手のタイプが多いと思います。

人に依存できないと依存を分散できず、特定の事柄に病的なレベルに依存してしまいやすいのではないかと思うのです。そして、人に依存できたとしてもその距離感がうまくいかないことがよくあります。人への依存も、病的なレベルにまで依存してしまうと「共依存」と呼ばれる状態になります。人に頼れないという距離がありすぎる状態になってしまったり、はたまた近づきすぎて共依存になってしまったりと、人との距離感が上手く取れないのです。

適度に人に依存するために必要なこと

人に頼ることが苦手な人の多くは、他人に弱さを見せたくないという思いが強いです。つらい状況でも自分で何とかしようと、誰にも頼らずに一人で頑張ってしまうことが多々あります。弱いところを見せたくないと強がって、常に強い自分でいようとしている、虚勢を張っている状態ともいえるでしょう。

でもそれって本当の強さではなく、ただの強がりです。めちゃくちゃ脆い、ただの強がりです。本当の強さって、「自分の弱さを認められる強さ」自分の弱みを人にさらけ出せる強さ、それが本当に必要な強さだと思います。人に依存できない人は、弱みをさらけ出すのに必要な「本当の強さ」を持ち合わせていないのだと思います。

弱さをさらけだすことが依存症を回復へと向かわせる

依存症の回復に向けて有効な取り組みに自助グループへの参加があります。

自助グループとは「ある障害を持つ者同士が互いに励ましあいながら、その障害を様々な形で克服していくための集団」のことです。アルコール依存症の自助グループであるAA、薬物依存症の自助グループであるNAなど、依存症にも多くの自助グループがあります。多くの自助グループでは定期的にミーティングが行われます。ミーティングは当事者のみが参加できるというものが多く、その内容は言いっぱなし・聞きっぱなしで他者から意見されることはありません。またミーティングの内容は外には漏らさないルールです。そこでは当事者同士だからこそ分かり合えるような本音が語られます共通の悩みを抱える者同士で、正直に弱さをさらけ出す練習をする感じです。

わたしもクレプトマニア(窃盗症)の自助グループに参加していますが、参加し始めた当初は自分の弱さをさらけ出すような話をすることはできませんでした。参加を続けることで、他の仲間が自分の弱さをさらけ出すことを目の当たりにしました。 そして少しずつ、本当に少しずつですが自分の弱さをさらけ出すことができるようになってきたように思います。

他人に自分の弱さを少しずつさらけ出せるようになって、気持ちが楽になりました。弱さをさらけ出して、人に頼ることは悪いことではないと思えるようになりました(まだまだ苦手ではありますが)。そして、自助グループで自分をさらけ出す練習をしたことで、家族や親しい友人など、さらけ出せる相手が広がってきています。まだまだうまくできているとは言い難いのですが、こうやって弱さをさらけ出して、人に依存できるようになることが依存症の回復につながっていくのではないかなと感じています。

「どう思われてもいいや」と思えるようになる

依存症のミーティングに参加するようになって3年ほどが経過した頃、まだまだ正直になり切れていない自分がいるのを感じていた時に、仲間との会話でとても印象に残ったことがあります。それは「本当に正直に話せるときって、”これを言ってもに悪く思われないだろう”と思いながら話すのではなくて、”この人ならどう思われてもいいや”って開き直れるような安心感を持って話せるときだ」ということです。これは目からウロコでした。

わたしは自分の弱さを正直に話そうと思っても、相手にどう思われるのかを常に気にしてしまっていました。そのため、言いっぱなし・聞きっぱなしという正直に話しやすいミーティングの場でも、相手に悪く思われたくないと体裁を気にしてしまう自分がいました。その結果、「これ以上正直に話したら、どう思われるかわからない」、「この場で話したら、それは関係ないことと思われてしまうかも?」などと何かと理由をつけて、話を選んで自分の弱さを隠そうとしてしまうのです。

でも、思い返してみると「毎日のように万引きをしていた」ということを正直に仲間や主治医、家族に話せた時は「いつまでも隠していてもだめだ。もう、どう思われてもいいや!」と開き直れていたと思います。正直に話せた理由に「クレプトマニアのことを理解してくれているから、悪くは思われないだろう」という気持ちがありましたが、それ以上に開き直れていたことが大きかったです。そして、その時に感じた開放感というか、正直に話せて楽になった感覚は「このくらいは話しても平気だろう」と内容を選びながら話したときとは全然違うように感じます。

「やっぱり他人の目を気にしている、他人の評価を推測して話を選んでいるから正直に話すことをビビっているんだ」と、自分が正直に弱さをさらけ出すことができていない原因が分かった気がしました。

他人の評価を気にしても仕方ない

よく考えてみると、「これを言っても悪く思われないだろう」などというのは推測であって、本当のところ相手がどう感じているかはわかりません。話の受け止め方は人によって異なるのは当たり前だし、こちらがコントロールできることではないからです。そんなことを気にしても仕方ないのです。

わたしが聞く側に回った時のことを考えてみると、話の内容に対する他人の評価を気にする必要がないことがよくわかります。ミーティングでは仲間の発言に驚かされることもしばしばです。「それは、さすがにマズいでしょ…」、「私には理解できない感覚だな」などとネガティブに思うこともあります。でもそんなときは「よくそこまでのことを正直にさらけ出せるな、すごい!」という気持ちの方がはるかに上回ります。話の内容よりも、その正直さ、弱さをさらけ出す強さに感動すら覚えます。「弱さをさらけ出すことは仲間に力を与える」というのはまさにこのようなことなのだと思います。

弱さを正直にさらけ出す仲間の話には、本当にこころを打たれます。その根底には「この仲間たちになら、どう思われてもいいや」と思えるような、ミーティングが醸し出す安心感があります。そこに自分の弱さをさらけ出す強さが加わることで、仲間を勇気づける力が生まれるのだろうと思います。

正直に話せる場、弱さをさらけ出せる場・相手はミーティング・仲間とも限りません。家族、友人、主治医、カウンセラーなど、「この人になら、どう思われてもいい」というような自分の弱さをさらけ出せる相手や場があることはとても大切です。そして、周りの目を気にせずに弱さをさらけ出せるようになることは依存症からの回復、「人に依存できない病気」からの回復に向けて、とても大切なことなのではないではないか、そう思うようになりました。

人に依存するためには人とのつながりが必要

依存症の回復には人とのつながりが不可欠です。

ストレスの多い現代社会では、今後依存症は増えると言われています。最近、高齢者の万引きが問題になっています。認知症の影響によるものもありますが、より問題視されているのは依存症であるクレプトマニア(窃盗症)の高齢者が増えていることです。その背景には、高齢者の孤立化の影響が考えられます。人とのつながりがより重要な意味を持つようになると言えると思います。

家族、友人、仕事仲間、SNSを利用したつながりなどいろんな方法があります。依存症は一人では回復できません、人とのつながりが必要です。わたしもクレプトマニアの情報発信を通じて、つながりを生み出していきたいと考えています。そのつながりがわたし自身や他の仲間が、盗らない一日を積み重ねることへの力になれたらうれしいです。

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