被害経験を外に出すことの大切さ

万引きを手放すために

わたしは入院中にボールペンを盗られる経験をしました。それを多くの人に話し、辛い感情を外に出したことが良い方向に作用したと感じています。

入院中に窃盗被害を経験

被害者側になることで、被害者の立場で考えることが以前よりはできるようになったと思います。被害者の辛さがわかり、「万引きはいけないことだ、もうやらないようにしなくては」という思いを強めることができました。

詳しくはこちらに書いています。

同じ経験でも違う方向に向くことも

わたしの場合は、被害経験を良い方向に向けられましたが、悪い方向、つまり「盗られて損をした、盗り返したい!」という方向に作用してしまうことがあります。むしろ、クレプトマニアには被害経験が窃盗へのエネルギーになってしまう人がかなり多いと感じます。被害経験のことを投稿に書いた時には、併せてこの投稿も書こうと思っていました。そのくらい、「自分だったら、盗られて損したからやり返そうと思ってしまう」という話を耳にすることが多かったからです。

これはクレプトマニアに多く見られる、「損得勘定」が強く出ている状態だと思います。損得勘定とは「自分が得をするか?損をするか?」という判断基準で考えることです。誰にでもある感情ですが、クレプトマニアで問題となるのは、損得勘定が強く、「損した分を盗ることで穴埋めしよう」、「奪われたから奪い返そう」と考えてしまいがちということです。

損得勘定についての投稿はこちらです。

被害者意識が強いことも

「被害者意識」とは、実際に被害や悪影響を受けたわけではないのに、被害を受けていると思い込むことです。自分の行動を正当化するために、過去の出来事や環境に責任転嫁して「自分は被害者の立場であり、やり返すのは仕方ない」と考えてしまうことがあります。それには虐待や機能不全家族など生育環境に恵まれなかったこと、いじめ・犯罪被害を受けたことなど、過去の出来事が影響することもあります。自分が過去に受けた不当な対応に納得することができず、それを何度も思い浮かべて被害者だと意識することで、自分の行動を正当化してしまいます。被害を経験した、辛い思いをしたこと自体は間違いないのですが、それを良くない方向に結び付けてしまう状態です。

クレプトマニアには被害者意識と損得勘定が結びつき、「小さい頃からひどい環境で育ちずっと損をしてきた、だから盗って得をしてもいいだろう」、「周りの人よりも多く仕事させられていて損をしている。ちょっとくらい盗って得をしてもいいだろう」などと窃盗を正当化してしまうことも多く見られます。

被害経験を活かすために

わたしはボールペンを盗られたという被害経験を、相手の立場に立って考えるという良い方向に向けることができました。被害者感情・損得勘定のスイッチを入れずに済んだともいえると思います。

その要因は何か?考えてみました。

盗らない時期に経験したので、心に余裕があった

毎日のように万引きをしていた頃は見つかること・捕まることに常に怯え、びくびくしていて、本当にこころの余裕がありませんでした。怯える気持ちに反して盗りたいという思いが消えず、常に万引きのことを考えているような状態でした。

万引きをするときも目の前のことしか考えられないのです。本当に刹那的、ある意味ゾーンに入ってしまうような感覚です。目の前にあるものにどんな背景があるか、お店にどんな迷惑をかけるのか、捕まったらどんなことになるのか、そういった想像力を働かせることができなくなってしまいます

捕まった直後も被害者に対しての罪悪感を抱けず、相手の立場に立って考えるなんてことはできませんでした。このような状態のときに、自分が大切にしていたものを盗られてしまったら、「損した、盗り返そう!」という損得勘定丸出しの発想になっていたと思います。

ボールペンを盗られた時は入院中、万引きに頭が支配された状態を抜け出せていてこころに余裕がありました。その結果、怒り・無念さ・やるせなさといった被害者感情を抱いた経験を、相手の立場に立って考えることにつなげられたと思います。

盗られたことをいろんな人に話した

ボールペンを盗られてしまった時は、思い入れのあるボールペンがなくなってしまったことが本当にショックでした。更に落とした、壊れたというのではなく、盗られたであろうということに怒りを強く抱いていたので、その気持ちをいろんな人に話しました。ミーティングでも話しました。今までになく、しつこいくらいに、いろんな人に話し、負の感情をため込まずに外に出すことができました。これは本当に大きかったです。

それまでは怒りや不満などの負の感情は、なるべく出さないようにしていました感情をことばにするとそのことばが反響し、感情が増幅してしまうと思っていたからです。負の感情をことばにしないことが、その感情を抑えることになると思っていました。今思えば、この負の感情を抑え込むことが逆効果だったのだと感じています。

この一件では、負の感情を外に出すことで、こんなにも負の感情がどんどん出てくるのかと驚きました。想像以上に大きかった負の感情ですが、話すことで「怒り」のエネルギーを解放することができ、こころの内圧を下げることもできました。ため込まずに外に出すことで怒りや辛さなどの負の感情をコントロールすることができ、損得勘定のスイッチを入れずに済みました。その結果、盗りたいという欲求が起こることを回避できたのだと思います。

助けを求めたら、応じてくれた

ボールペンを盗られたことを仲間や看護師に伝えたら、話を聞いてくれたことはもちろん、ボールペンを探してくれました。その後も何かと気にかけてくれました。これが本当にありがたかったです。自分を大切にしてもらえている感覚になりました。そして「ありがとう」という感謝の気持ちを持ちました。以前だったら、「迷惑かけて、ごめんなさい」という感情、とにかく自分を責めるという状態になっていたと思います。でも、この時はごくごく普通に「ありがとう」という気持ちになりました。自分自身を大切にすることが苦手なわたしにとって、助けを求めることの成功体験を積めたことはとても大きかったです。

自分の痛みの理解が相手の痛みの理解につながる

負の感情を抑えこむのは自分の痛みに鈍感になることにつながります。自分の痛みに鈍感になると、相手に痛みにも鈍感になりがちです。自分の痛みがわからないと、相手の痛みを想像することも難しいです。わたしは負の感情を抑えこむことを当たり前にしていたので、相手の負の感情も過小評価していたと思います。相手の痛みに鈍感になることで、自分の行動の加害性を矮小化し続けたことが、「盗ってもいいだろう」という気持ちにつながっていたと感じています。しっかりと自分の負の感情を受け止める、痛みとして感じることが他人の痛みを想像できることにつながるように思います。窃盗被害を経験し、自分が辛い思いをしたことで、やっと被害者の痛みを想像できるようになりました。自分の痛みを蔑ろにしないこと、それが相手の痛みを想像することにつながり、窃盗の抑止力にもなり得るとも言えると思います。

そんな簡単に赦せないけど…

では、ボールペンを盗られたことをいろんな人に話すことで、盗った人を赦すことができたかと言ったら、そんなことはありません。わたしはそんないい人ではないです、はっきり言って今でも思い出せばそれなりにムカつきます。でも、話をして怒りの感情を外に出すことで、ボールペンがなくなったことに諦めがつき、気持ちを切り替えることができました。少なくとも、「損した、盗り返そう!」という思いには至らないようにはなりました。そこには、損得勘定が強いという自覚があり、「盗り返そう!」という発想に至ってはいけないという警戒心も働いていると思います。でも、そこまで至れればクレプトマニア的には万々歳と言えるのではないでしょうか。

スーパーの店長さんを例に考えてみます。お店を経営する側として、万引き被害をことばにして外に出したからと言って赦すことなんてできないでしょう。それでも、怒りの感情をうまくコントロールして、「盗り返そう」とはなっていないわけです。

損得勘定が強いことを自覚し、「損した」と感じる出来事が起こっても「盗り返そう!」という発想に至らない程度の感情コントロール法を身に着ける必要があると思います。

被害経験を外に出す

被害者意識や損得勘定が強い理由として怒り・悲しみといった「被害感情をため込んでいる」ことが考えられます。被害を受けることで生じた負の感情をうまく処理できずにため込んでしまうと、それが大きなエネルギーとなり「損した、やり返そう」、「やられたからやり返そう」、「奪われたから奪い返そう」という発想や行動に至ってしまうのではないかと思います。いわば、”復讐依存”という状態です。復讐のための行動に依存することで、ストレスを発散しようとしてしまいます。

「被害感情をため込んでいる」のは、過去の被害体験に向き合うのが辛く、無意識的に蓋をしているのかもしれないし、被害感情に気づいていても外に出す場がない・出す方法がわからないといったものかもしれません。いずれにしても、負の感情が澱のようにこころの中に溜まっている状況であり、放置しておくと窃盗衝動や行動の大きなエネルギーとなってしまうリスクがあります。被害感情が加害行動の原動力になってしまいます。

損得勘定を窃盗行動につなげないためにも、被害経験によって生まれた怒りや悲しみといった負の感情を外に出し、こころの内圧をコントロールするスキルを身に着けることがとても大切です。「話す」ことは「放す」ことであり、こころの内圧をコントロールするためにも重要なスキルだと思います。辛さに向き合い、その思いを外に出すことは本当に大変な作業ですが、回復には必要不可欠なステップです。そのためには辛い思いや抱え込んでいることなどを外に出せる環境を作ること、そして辛い思いを外に出すことを繰り返しスキルとして身に着けることがとても重要だと思います。

辛さは他人と比較するものではない

こころの辛さの源となる被害経験というのは、被災経験や虐待、いじめなど明確なものかもしれないし、見方によっては些細なことと思えるような小さなことの蓄積かもしれません。

被害経験が小さいものだと、「あの人の方がもっと辛いはずだ」、「これくらい我慢しなきゃ」などと考えてしまいがちです。しかし、被害の辛さは他人と比較するものではありません。傷が大きいからしんどいのはもちろんですが、小さな傷でもそれなりに痛いのです。むしろ小さい傷だから自然に治ると放置し、時間が経って化膿してきてしまうことも十分に考えられます。

わたし自身、「いじめ・虐待を受けた」、「大きな喪失経験をした」というような、明確な被害経験がありません。でも、いろいろと思い返すと「小学生の時に言われたあの言葉が今も引っかかっている」・「あの対応に実は納得がいっていない」など自分の中で嫌な思いをしたことがぽろぽろと出てきます。しかしどれも大きくないので、自分で何とかしようと自分の感情に蓋をしてきたのではないかとも思います。そして、はっきりとしたキズではないからこそ、原因が見つけにくく、てこずっている気もします。依存症から回復し続けるためには、今後も焦らずじっくりと自分の負の感情と向き合い、外に出していくことが必要だと強く感じています。

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