なぜ「万引きをやめたい」と思えなかったのか?2つの勘違い
万引きをやめたいと思えなかったのは、2つの大きな勘違いが大きな原因だったと思います。
2つの大きな勘違い
万引きをしている頃は「やめたい」と思えませんでした。「やめられないこと」に悩んでいましたが、それは「やめたいのにやめられない」のではなく、「やめたいと思えない」に悩んでいる状態でした。その結果、万引きをやめるための取り組みになかなか手が出せないのです。そして、やっとつながった治療や自助グループにも本腰が入れられない状態でした。万引きをやめたいと思えなかったのは「金銭的に得をしていると思っていた」、「万引きをしている方が気持ちが楽だと思っていた」という2つの勘違いが大きな理由です。そしてこの勘違いは捕まることで、一瞬にしてひっくり返ります。
入院をし、万引きをしない生活を送ったり仲間の話を聞くことで、やっとこの勘違いに気が付きました。
金銭的に得をしていると思っていた
万引きをしていた大きな理由が、「金銭的に得をしていると思っていた」というものです。むしろ「盗らないと損」とすら思っていました。万引きをすればお金を減らさずにものが手に入るので、「打ち出の小づち」を持ったような気になっていました。お金が減らないのをいいことに、自分で買うとしたら手を出さないような高価なものを万引きすることもありました。「万引きをしなくなったら、こんな高価な美味しいものは買ってまでは食べない、だからやめたくない」、そう思っていたのも事実です。冷静に考えられる時は「こんな考え方はおかしい、間違っている」と思えるのですが、仕事が終わるなどしてお店に行けるような状態になると、お店に向かう脚を止めることはできず、お店に行けば当たり前のように万引きをしてしまっていました。でも、これは本当に短絡的です。一時的に得しているような感覚になっても、決してそんなことはありません。損得勘定に駆られ、得をしたいという思いで万引きしていましたが、本当に浅はかだったなと思います。目先の損得勘定は損をすると言われますが、その通りです。
クレプトマニアになったことで、病院に通うようになり入院もしました。それなりに治療費がかかります。入院中は仕事もできず、当然のことながら収入が減りました。また、回復しても再発予防に通院や自助グループへの参加を続けるため、仕事量をセーブしている人も多くいます。入院中に知り合った多くの仲間は休職・退職などで収入面でも大きなマイナスになっていました。事件化するとさらにお金がかかります。事件化することで、仕事を失ってしまう人もいます。また、罰金刑になれば窃盗罪だと50万円以下の罰金です。裁判になれば弁護士費用など、その出費はかなりの額になります。「裁判には車1台余裕で買えるくらいお金がかかる」という類の話はよく聞きました。万引きを続けることは金銭的に得をしないということを痛感しました。
盗ることは「得」ではなく「犯罪」
わたしは万引きをすることで金銭的に得をしている、節約になっていると思っていましたが、そもそも窃盗は「得」なんて軽いものではありません。得というのは「セール品を買って得をした」、「割引品は買うのは得をした気分」、「お得にポイントを貯める」など正当な方法で自分のものにすることだと思います。万引きなどの窃盗は「ズル」どころか、「被害者を生む犯罪行為」です。そのあたりの罪悪感の低さからくる「歪んだ節約心」が、数ある依存症の中で万引きに依存してしまった大きな理由になっていたと思います。
盗っている方が気持ちが楽だと思っていた
万引きしている頃は、それによって満足感や達成感を味わっていました。また、他の人がやらないことで得をしているという、優越感・背徳感もありました。スリルを楽しんでいた部分もあります。毎日のように万引きしていた頃は、「万引きをしなくなることで、このような感覚を失いたくない」と思っていました。完全に万引きに洗脳されているような状態で、「盗りたい」というより「盗らねばならない」というような強迫的な感覚がありました。「万引きをしないと落ち着かない」、「万引きをしないと一日が終わらない」、「万引きできなくなることが怖い」そんな状態で、万引きをすると何とも言えない解放感・安堵感が得られました。とにかく、万引きをしている方が気持ちが楽だと思っていたのです。
一方で、万引きによる不安や後ろめたさもありました。いつもバレるのではないか、捕まるのではないかとびくびく怯えながら生活していました。それでも、万引きで得ているプラスの方が不安や後ろめたさよりも大きいと思っていました。万引きをしている方が楽だと思っていたので、やめたいと思えませんでした。「万引きで捕まるのも怖いけど、やめるのも怖い」、「万引きによってできた不安を、万引きによって減らそうとしてしまう」、「何とかしないとマズいとは思うが、他に方法がわからない」というような、どうにもできない状態になっていました。
入院で万引きが止まってわかったこと
わたしの場合、万引きをし始めてから入院するまでずっとやめられませんでした。警察に捕まっても、翌日からまた万引きをしてしまうような状態でした。
入院して、半強制的に盗らない生活になったことで精神的にとても楽になりました。バレるのではないか、捕まるのではないかという怯えが減ったからです。隠し事のない日々は、本当に楽です。もちろん後日逮捕の可能性もありますが、毎日のように万引きをしていた状態とは明らかに違いました。入院中とはいえ、万引きをやめられているという達成感もあり、気持ちが楽になりました。万引きを続けていたときは盗っている方が楽だと思っていて、苦しい感覚はわかりませんでした。わたしはもともと負の感情はよくないものとして、抑え込んで処理しようとしてしまいます。それも影響していたのだと思います。また、万引きを止めたくないとの強い思いから、苦しい感覚を抑え込んでいたのかもしれません。しなくなったことで「盗っていた頃はかなり苦しかったな」と思えるようになり、万引きをしない生活の方が楽だということがやっとわかりました。そして、もうあの怯えや不安に囚われた生活に戻りたくないと思えるようになりました。
また、盗っていた頃は、万引きのことで頭の中が四六時中支配されているような状態でした。捕まることの不安もありましたが、それでも頭の中では「今日はどのお店に行って何を盗ろうか?」などと考えていました。それが、万引きをしない生活になることで万引きのことが頭から離れ、気持ちにも余裕ができました。万引きで得ていた解放感・安堵感よりも、万引きをしないことで得られた解放感・安堵感の方がよっぽどいいものだということがわかりました。その結果、やっと自分の問題点と向き合えるようになったと思います。
万引きをしなくなった状態で考えると、万引きをすることで楽になっていたどころか、精神的に大きな損失があったと思います。常にこころに澱のような、どろどろとしたものがありました。そしてやめられてからも「なんであんなことをしていたんだろう」という思いは消えません。この精神的な損失はお金の様に取り戻せるようなものではなく、「万引きをしてなければこんな思いをせずに済んだのに」というのはやめられてからやっと分かりました。少しでも早い段階でやめた方がいい、今更ながらそう思います。
人と会えるようになった
盗ってた頃は「出先で友人と会って話す」、これができなかったです。
普段行かない街に行くとなれば「せっかく交通費かけてきたんだから、盗らないと損」とお店の様子が気になって仕方がなくなります。途中の乗り換えでもお店の様子が気になってしまうし、待ち合わせまで時間があればその間にお店に行って盗ってしまうような状態です。友人と会っても頭の中では「帰りにあの店によって盗ろう」などと、万引きのことが頭から離れず、どこか上の空になります。そして話していても、何かをきっかけに万引きをしていることがバレてしまうのではないかとこころを開いて話すことはできませんでした。
こんな状態になってしまうのが目に見えているので、誘われても断るなどしてそもそも予定に入れられなくなります。そうやって、自ら孤独を作りだし、更に万引きにハマっていくという泥沼にはまっていました。
盗らない生活を送れるようになった今は、これらの問題が一気に解決し、友人と会って楽しく話をすることができるようになりました。長時間話し込むこともしばしばで、こうやって「人に依存できるようになった」ことが盗らない生活の大きな後押しになっています。
「わかっちゃいるけど」ではなく「わかってなかった」
「わかっちゃいるけど、やめられない」、依存症はこのような状態とも言えますが、ちょっと違うのかなと感じています。やめられない頃は「やめなきゃダメだと頭ではわかってる」と思っていましたが、やめられた今となっては「わかってなかったな」と思います。万引きを続けることで自分が与えている被害の大きさをわかっていなかったです。それは被害者に対しても、自分に対してもです。盗っている方がいいと勘違いしていました。得をしていると思っていましたが、いろんな意味で損をしていました。人生損をしていたと思います。
万引きにハマっている状態はアルコール依存症でいうと酒に酔っている状態と同じ、つまり万引きをやめて酔いから覚めた”しらふ”の状態にならないといろんなことが見えてこないのだと思います。自助グループに通うなどして、自分なりに万引きをやめるための行動はしていたつもりでしたが、先行く仲間の教師・反面教師のような話もきちんと頭に入っていなかったなと。入院して、盗れない環境に行くことでやっと万引きがやめられ、しらふになったことでやっと少しずつ、自分がやってきたことの大きさ、多くのことを勘違いしていたという現実がわかってきたのだと思います。
「わかっちゃいるけど」というのは「”やめないとまずい”とは思っているけど」というニュアンスですが、そんな気持ちではやめ続けるのは難しいです。「やめなきゃまずい」ではなく「やめたい!」とこころから思えるようになることが大切だと感じます。
万引きで得ていた満足感 < 買って得られる満足感
わたしが万引きしていたのは自分用の食べ物で、パンやお菓子、総菜・弁当など、調理の手間がかからないものが多かったです。そして、買うとしたら手を出さないような高価なものを万引きすることもありました。それなりに値が張るものなので、もちろん美味しかったです。万引きすること、そして食べることで喜びや満足感を得ていたのは事実です。
退院後、「盗らない生活=ちゃんと買う生活」になり、出費のことを考えるようになりました。基本的にケチですのでやはり節約したいと考えます。そう思うと、万引きしていた頃には当たり前のように食べていた高価な食材には手が出せません。だからといって満足できないかといったら、そんなことはないです。退院直後は時間に余裕があったので、材料を買って作り置きの惣菜を作ることも多くありました。もともと料理が好きなので、全然苦になりませんでした。自分で作れば安く済むし、自分好みの味付にもできます。そして、家族も喜んでくれました。ちゃんと買った材料で料理を作った時の満足感は、高価な食材を万引きすることで得ていた満足感よりずっと大きいものだとわかりました。
万引きしていた頃は盗る(お金を払わない)前提でお店に行っていたので、値段に関係なく「手に入れよう」という気持ちが湧きました。そして、欲しければ盗ればいいと思っていました。でも今はお金を払って買うことが前提でものを選ぶので、欲しいと思うとともに買えるかどうかも考えます。そして場合によっては買わないという判断となり、手に入れることを諦めます。お金を使いたくないのなら仕方ないのです。当たり前のことですが、それができなかったので大きな進歩です。
苦しかったあの頃に戻りたくない
万引きしていたものをちゃんと買っていたら、かなりの出費でした。買うとしたら手を出さないような高価なものも、万引きしていました。それが当たり前のようになっていました。でも、万引きを止めてちゃんと買うようになり、身の丈に合った生活を送る中で、それなりに満足が得られることがよくわかりました。地に足が付いた生活を送っているような感覚があります。後ろめたい思いをすることもなく、ちゃんと買った食材で自分好みに料理すればいいんです。そんな当たり前のことが、やっとわかるようになりました。万引きをする生活は金銭的に得をしないどころか、精神的な損失も含め失ったものは本当に大きいことが今はよくわかります。依存行為に助けられていた部分もありますが、同時に自分自身を痛めつけていたとも思います。盗っていた頃を思い返すと、やっぱり苦しかったなと。
わたしは万引きを繰り返すことで被害店舗の方たちや周囲の人たちなど、多くの人に多大な迷惑をおかけしてしまいました。加害者であるわたしがこんなことを言える立場ではありませんが、自分も万引きをやめられないことに苦しんでいました。誰にとってもいいことなんてなかった、得したことなんてないと、今更ながらわかるようになりました。そんな当たり前のことがわからない状態が、病的だったと言えるのかもしれません。今は万引きしていた頃の生活に戻りたくないと、心から思っています。そしてそのためにも、正直であり続けなくてはいけないと強く感じています。
残念ながら過去は取り戻せません。この経験を無駄にしないためにも、盗らない一日を丁寧に積み重ねていきたいと思います。
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