わたしのクレプトマニア経歴②

わたしの実体験,わたしの歴史

クレプトマニアに近づきつつあることを認識し、なんとか万引きはしないようにと自分なりに頑張っていました。しかし、1つのパンを万引きしてしまったことで、堤防は一気に決壊し、歯止めが利かない状態になります。

どんどんエスカレートする万引き

1つのパンを万引きしてしまい、「あ、クレプトマニアになってしまった」と思ってからはもう自分をコントロールすることはできませんでした。どんどんとエスカレートしました。

始めは買うついでにちょっと盗るという感じだったのが、あっという間にほとんど買わずに盗るのが当たり前になりました。仕事帰りに毎日のように万引きするようになりました。1日に複数のお店で万引きするようになりました。帰り道では、わざわざ途中下車して万引きするようになりました。お店の場所や営業時間などを調べて万引きするようになりました。ちょっとでも空き時間ができると、お店に入って万引きをするようになりました。万引きのために、大きなカバンを持ち歩くようになりました。犯行時に目立たないようにするため、地味な色合いの服を着るようになりました。お店から自宅への帰り道では、「明日はどのお店で万引きしようか」ということを考えていました。

「万引きファースト」、万引きを中心に生活が回っていたと言っても過言ではありません。

理屈では説明できない自分ルールがあった

万引き中心の生活を送るようになっても、すべてのものを万引きしていたわけではありません。万引きするものには自分ルールがありました。それは「万引きするのは自分が食べるものだけ、それ以外は万引きしない」というものです。また、自分が食べるものの中でも「これだけは万引きしない、ちゃんと買う」というものがありました。自分が決めたルールに関しては、なぜか頑なに守ろうとしました。

わたしは料理が好きで、同居している両親の分も含めてご飯を作るときがあるのですが、その時の材料は買っていました。また、ドレッシングなどの調味料は万引きしませんでした。というのも冷蔵庫に入れておくと両親が使うかもしれないからです。「万引きしたものはきれいなものではない」という変な理論が自分の中にあり、他人に万引きしたものを使ってほしくなかったのです。 (この調味料のルールに関しては末期には崩れてしまいましたが…。)

自分用であっても日用品や衣服など、食べ物以外は購入していました。食べ物以外のものには盗りたいという気持ちは起こらず、万引きを我慢しているという感覚もありませんでした。また、人にプレゼントをあげたり食事代を多めに出したりすることにもためらいはありませんでした。むしろ、好きな方と言えるかもしれません。「万引きしたものはきれいではない、だから自分で消費する。他人にあげるものはちゃんと買う、それはきれいなもの」、そんな感覚でした。今思えば、本当に身勝手なルールだなと思います。

万引きで浮いたお金で買ったプレゼント、そんなものをニコニコしながら渡していたわけです。今になれば「そんなものをもらって相手が喜ぶわけがない」、「歪んだ考え方だ」とわかります。でもその頃はあらゆる理論で自分を正当化して万引きを続けていました

万引きに求めていたもの

万引きを始めた大きな理由は食費の節約でしたが、続けているうちに違う目的も生まれていました。

それは「達成感」・「満足感」です。お金を払わずにほしいものを得ている、他の人がやっていないことで得をしているという「優越感」もありました。お店を出るまでは見つからないかとビクビク・ハラハラしていましたが、それを楽しんでいるような節もあり、周囲を警戒しながら「スリル」や「背徳感」を味わっていました。サバイバルゲームに似たような感覚なのかもしれません。

お店を出て、成功したとわかると安堵とともに達成感・満足感を得ていました。そして帰宅後には、万引きしたものを自分の部屋に並べおおよその金額を計算し、さらに達成感・満足感を増幅させていました。この一連の流れが、儀式のようになっていました。この儀式が終わらないと一日が終わらない、落ち着かないという感覚に陥っていました。

盗らずにはいられない

盗ってはいけないということは分かっていました。万引きは犯罪であることも、捕まってしまうこともわかっていました。でも、やめられませんでしたやめたいと思えないことに悩んでいました。

ひどいときには空き時間ができると盗らずにはいられないというような状況でした。「万引きしないために、お店に行かなければいい」と頭ではわかっているのです。頭ではわかっているのですが、お店に行かずにはいられないのです。自宅の最寄り駅で電車を降りたら、まっすぐに帰宅すればいいのにそれができない。どうしても駅前のスーパーに吸い込まれるように寄ってしまうのです。自分で自分の行動をコントロールできないような状態でした。

わたしの場合、閉店間際のお総菜コーナーに行くとどうしても盗りたくなるということを認識していました。「売れ残ったら捨ててしまうのだから、万引きしてもお店に損はない」、「ゴミも減るし、片付けも楽になるんだから、むしろお店の人にとっても悪い話ではない」などと、到底許されるわけもない理由で自己正当化し万引きしてしまうのです。

帰りの電車の中では駅からまっすぐ家に帰ろうと、何度も何度も自分に言い聞かせます。というのも、すでに他のお店で万引きをしたものが手元にあるからです。「これだけあれば、食べ物が足りなくなることはない」、「次のお店で捕まるかもしれないんだからまっすぐ帰らなきゃ」などと、自分への説得を試みます。でも結局電車を降りた後にはスーパーに寄り、万引きしてしまうということを繰り返していました。

そして大荷物で帰宅し、両親にばれないように足早に自室に荷物を持ち込み、部屋に盗ったものを並べ金額を計算し、やっと気持ちが落ち着くという毎日でした。

万引きを繰り返してしまう罪悪感がなかったわけではありません。でもその罪悪感はお店に対してというよりも、「万引きがやめられないこと」に対する罪悪感という感じで、どこか見当違いだったと思います。一連の儀式が終わった後には安堵感とともに、罪悪感や「何やってるんだろう…。」という何とも言えない情けなさも感じていました。「盗るも苦しい、盗らぬも苦しい」という状況に追い込まれていました

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