依存症は「否認の病」 社会的偏見が否認の病を助長する

2020年2月13日

依存症は「否認の病」と言われます。
その理由や、社会背景による影響について書いてみました。

依存症はなぜ否認の病と言われるのか?

依存症における否認とは、「自分が依存症であると認めないこと」であり、依存症の人は多かれ少なかれ誰もが持っている心理とされています。

「自分は依存症ではない」と依存症を全く認めないことに加え、「やめようと思えばいつでもやめられる」、「依存症だと思うが、それほど重症ではない」などと考えることも、実際よりも問題を軽く考えているという点で、否認と考えられています。
「お店の商品の並べ方が盗りやすいようになっているから」、「警備が甘いのが悪い」などと、窃盗行為をコントロールできない原因を他のことにすり替えたり、「悪魔に取りつかれたから盗ってしまう」、「やめられるわけがない」などと、回復をあきらめてしまうのもよく見られる否認です。

否認は、深刻な状況から身を守るための心理的な防衛機制の一種と考えられ、依存症の人は多かれ少なかれ否認があるものです。

しかし否認は問題の解決を妨げるものであり、否認の克服が依存症の回復のプロセスそのものともいわれています。

自分が依存症であることを認める

依存症の回復には「自分が依存症だと認める」こと、つまり自分で行為欲求を抑えきれなくなっていると認めることがとても重要です。

クレプトマニアという依存症だと認めるのは、「万引きは良くないとわかっているけどやめられない」、「お店に行かなければいいのに、それが我慢できない」、「常に盗ることばかり考えてしまう」など、自分の意志だけでは窃盗をやめられない状況になっていると認めることです。

依存症は一人での解決は困難であり、周囲に助けを求める必要があります。
自分から助けを求めたり、周囲からの救いの手を受け入れるには、自分が依存症だと認めることが重要です。
否認を克服することは、回復への大きな一歩となります。

依存症だと認められれば、回復への歩みが半分以上進んだと考えてもいい」と言われるほどです。

否認を助長する社会からの偏見

多くの依存症者は、自身の依存行動を自覚しています。
依存行為を隠したり正当化したりするのは、「そのことに触れられたくない」と感じるからです。

では、なぜ依存症は「触れられたくない、隠しておきたい」ことになってしまうのでしょうか?

これには日本社会において依存症が否定的にとらえらえていることが大きく影響しています。

代表的な依存症にアルコールや薬物があります。
アルコール依存症というと、「アル中」と表現される 「働かず、汚い格好をして、お酒の匂いをプンプンさせながら、昼間から公園等で寝ている人」というイメージが多くの人の中に出来上がってしまっています。
また、薬物依存症についても「ダメ、ゼッタイ」のポスターに描かれているような、薬物依存症に対するネガティブなイメージがまだまだ根強く残っています。

こういう人もいないわけではありませんが、ごくごく一部です。
一部の事実を、全体の事実であると間違って捉えられていることが多いのです。

その依存症に対する悪いイメージが、依存症を「触れられたくない、隠しておきたい」存在にさせ、依存症治療に重要な「早期発見・早期介入」を難しくしています

依存行為を手放したくないという思い

依存行為を「触れられたくない、隠しておきたい」存在にさせるその他の理由として、「依存行為を手放したくない」という思いが考えられます。

依存症になると、依存行為を行うことで脳内に快楽物質であるドーパミンが放出されます。
依存行為を行うと、高揚感や幸福感など、何とも言えない快感を味わえるようになるのです。
これを繰り返すと「また同じ快感を味わいたい」という欲求が生まれ、「わかっちゃいるけどやめられない 」状態になってしまいます。

また、依存症は依存行為を行うことで何らかの得をしています
クレプトマニアの場合、「お金を減らさずにものを得る」という得をしてしまっているのです。

そのため、依存行為を「やめなきゃいけない」とは分かっていても、「やめたい」とは思えていないという状況になりがちです。

このような状況で、依存症に対する社会からの偏見があることを思い浮かべれば、依存症者がその事実を 「触れられたくない、隠しておきたい」 と思ってしまう可能性は高くなります。

依存行為によって快感が得られるという依存症のメカニズムを変えることはできません。
そのため、依存症は否認の病であるという側面を減らすためには、社会の偏見を減らすことがとても大切です。

依存症から回復しやすい社会を目指して

以前、インターネットでこのような記事を目にしました。

「海外では、依存症治療のことを告白すると、肯定的に受け取られるばかりか、回復に向かおうとする勇気を称える雰囲気すら感じられるのに対し、日本では、依存症と言えば”ダメ人間”、”甘え”、”根性がない”といった精神論に終始され、自己責任論で社会から抹殺されてしまう。」

本当にそうなんです。
依存症者は文字通りその行為に依存しており、依存行為を手放すのはとても勇気が要ることです。
ハリウッドスターやセレブが、治療のためにホスピスに入ることを公にすることがあるのは、依存を手放す勇気を称えるという社会背景があるからです。

一方日本では、一度でも依存症になってしまうと極悪人であるかのように報道されてしまいます
そして、依存症による犯罪を犯したら社会復帰は許されないという扱いになってしまうことがあるのです。

ましてや、依存症の回復につきものである「再発」が起こると、その騒ぎ方は尋常ではありません。
依存症だと認め、治療を行い、依存行為を中断できたからこその再発であるのに、そこまでの過程を全否定するかの如くの扱われ方です。

このようにテレビ・新聞・出版物などの報道が社会の偏見に及ぼす影響はとても大きいです。

わたしは約25年前から摂食障害ですが、発症当時は情報も少なく、社会的な偏見も大きかったと思います。
それが、芸能人やスポーツ選手などの有名人が摂食障害であるとカミングアウトすることで、より身近な存在と認知され、偏見も減ってきていると思います。
うつ病についても同様のことが言えると感じています。

依存症に対する社会的な偏見が減れば、依存症が「触れられたくない、隠しておきたい」存在ではなくなります。
そうすると否認の病という側面が小さくなり、より多くの依存症者が”表面化”してくると思います。
全体数が増えるのではなく、「隠れ依存症者」が減るということです。

依存症者が多いことがわかれば、その対策についての報道や出版物などが多くなり、回復に向けての取り組みも盛んになるはずです。
社会的な偏見が減ることが、依存症から回復しやすい社会につながると言えるでしょう。

最近の依存症に関する報道や、それに対する反応を見ると日本社会の変化を感じます。
依存症から回復しやすい社会の実現に向けて、前に進んでいると言えると思います。
しかし、依存症の種類によって受け止められ方に差があるのは事実、クレプトマニアは依存行為が被害者を生む犯罪行為であり、その道のりは平坦ではありません。

クレプトマニアによる万引きを減らすためにも、諦めずにこつこつと情報発信を続けていきたいと思っています。

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