最後の万引きから4年 仲間の力の大きさ

わたしの歴史

万引きを手放して、この4月で丸4年が経過しました。この1年間での出来事の振り返りです(2023年4月22日)。

Room Kでのつながり・学び

昨年2月から依存症オンラインルーム「Room K」を運営しています。月曜夜にオンラインミーティングを開催し、それ以外にもチャットルームを運営しています。あっという間に参加人数が増え、今では200人を超える仲間が参加してくれています。日本全国どころか、世界各地の仲間とつながることができています。仲間たちから多くの力をいただいており、脱万引き丸4年を迎えられたのも、このつながりの影響が大きいなと感じる日々です。このような機会を与えていただいたASKやアドバイザーの方々、仲間には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。

この一年間は、Room Kを運営していく中で多くの学びがありました。「自助グループでサービス(運営スタッフ)をやると、回復が進む」、「仲間を助けることで、自分が助かる」そのような言い方をしますが、これを身をもって経験させていただいている感じがします。

人に頼ることを練習する

Room Kを運営する上で、自分に課していたのは「何かあったらすぐに相談する、人に頼る」ということです。わたしはとにかく人に頼ることが苦手で、一人で抱え込んでしまいがちです。「相談したら、相手に迷惑なのではないか」と思ってしまうのです。違う意見をもらうと否定されていると感じてしまうこともあり、相談が苦手でした。そして、一人で抱え込んでギリギリになってからやっと相談するから、「もっと早く相談しろ!」と怒られます。そして、もっと相談しなくなります。そして、一人で何とかしようと頑張りすぎて壊れる、そういうことを当たり前にやってきてしまいました。

その反省から「とにかく相談!困ったら、いや迷うくらいですぐに相談。事前報告もあり!」そのくらいの気持ちで取り組みました。そして、相談するのは他のオンラインルームを運営しているアドバイザーや依存症の仲間です。多くの人がAC(アダルトチルドレン)の特性をよく理解しているので、人を頼ることを躊躇ってしまう心理状況を察してくれています。そのため、すごく親身に相談に乗ってくださいます。更には「相談してくれてありがとう」・「わたしのはひとつの意見だから、最終的には自分で決めればいいんだよ」と毎回のように言ってくれて、人に頼るに対する苦手意識を減らすことができてきています。

完璧なんて無理、仕方ない

「同じことでもよいと感じる人もいれば、逆の人もいる」、これは参加人数が多くなるにつれ、痛感していることです。以前は不満に感じる人がいることに凹み、全員を満足させられない自分が悪いと自責し、どうやったらみんなが満足するか、完璧を求めて自分を追い込みました。でも今は「全員が満足するなんて無理、仕方ない」、そういうことが受け入れられるようになってきました。「同じことに賛否両論あるんだから、みんなが満足なんて無理。仕方ない。完璧はないけど、より良いものを作るために自分ができる範囲でやろう」と、以前の自分からは考えられないくらい自分に優しくできるようになりました

自分を大切にすることができるようになってきた

以前は目の前の他者承認を求めて、自己犠牲・ペース配分もせず全力で取り組むことが当たり前で、他の人のためには自分が壊れてもよいと思ってました。そして、それが他人の為になると思っていたし、他人に役立っている感覚がなくなることが不安でした。人に役立っていない自分には価値が感じられませんでした。

それが「他の時間にもやってほしい」・「時間的にもっと長くやってほしい」・「今後も継続してほしい」などの要望に対しても反応が変わりました。以前だと「よっしゃ、わたしがやる!」と全てに一人で応えようとしたと思います。できもしないのに「太く・長く運営する」ことを考え、空き時間にばんばんミーティングを開いたでしょう。それが今は「他の時間については、他の人にオンラインミーティングを立ち上げてもらいたい。そのためにノウハウは提供します」と、他人に頼ることができるようになっています。また「自分が壊れたら継続できないんだから、自分を犠牲にしてまでやろうとしない。だから時間的には今のままでいく」などと、自分を大切にすることに目を向けられるようになりました。

「自分が壊れたら継続できないどころか、他人に迷惑がかかる。他人の為に継続していきたいのなら自分を大切にすることが大事」、「自分に優しく、大切にするのは甘えではない」そんなことがわかるようになってきました。そして、「犠牲を払うほどにやらなくても、他人は自分の存在を認めてくれる。自分にはそれなりに価値がある、大丈夫」、と少しずつ思えるようになってきたなと感じます。

「人に頼る」・「仕方ない」・「自分を大切にする」・「自分にはそれなりに価値がある」…、自分なりにいろいろと取り組む中で、今まで自分の辞書にはなかったことばや選択肢が少しずつ増えてきました。最初の頃はミーティングで得られるものよりも、運営の苦労の方が多いなと思うことも正直ありました。でも困ったら誰かに相談することを意識して続けていく中で、「人に頼ればもっと楽にできるし、自分ができる範囲でやればいい」ということがわかるようになってきました。

期待値を下げる

多くの仲間とつながることで、必然的にやめられていない仲間、スリップしてしまう仲間、逮捕される仲間も出てきます。そして、その事実に必要以上に自分のこころが引っ張られてしまうこともありました。他者を変えることなどできるわけがないのに「自分が何かできていれば、そうならずに済んだのではないか?」など、できもしないことを考え凹むこともありました。

そんな時に、「期待しない」ということばが響きました。「何かできるのではないか?」・「こうなるのではないか?」などと期待してしまうと、そうならなかったときに一気に落ち込んでしまいがちです。そして、期待値からの減点方式でものごとを見るようになってしまい、自分を蔑んでしまいやすいです。そもそも期待しなければ、できたことに目が向きやすく加点方式で評価することができます。「自分にも、他者にも、いい意味で期待しない」、そう思えるとこころが楽になることがわかりました。

調子がいい時はそのように割り切って考えられます。でも、ちょっとメンタルが落ち込むと、自己肯定感が一気に下がり、「誰かに役立っている感覚」が欲しくなります。そして、「他者を変えられるのではないか?」・「自分が動けば相手は変わってくるれるのでは?」などと期待値を上げ、動き、他者評価を気にしてしまいます。かといって、自分に何もできないとは割り切ることも難しい。なので「きっかけを与えることくらいはできるのではないか?」というあたりが妥協点になっています。この辺りは、まだまだ課題に気づけた段階であり、今後もこつこつと取り組んでいかなくてはならないと感じています。

もう一つのアディクションとの向き合い方

もう一つのアディクション、摂食障害(過食嘔吐)の問題は相変わらずと言った状況です。

万引きを手放してからも、過食嘔吐は続いています。そして「生きることが下手くそなわたしにとって、過食嘔吐の杖は手放せない」、「まだまだすべてのアディクションを手放せる段階ではない。ちゃんと買ってたもので過食するから、この杖に頼らせてほしい」、そう言って正当化してきました。

そんな中、昨年末頃にあるセミナーで「依存行動は依存症という面もあるが、強迫性障害の一面もある」という説明を聞きました。わたしはまさにその状態だと思いました。わたしにとって過食嘔吐はこころの自己治療、依存症としての一面もあるのですが、強迫的にその行動に囚われていて振り回されている部分が大きいなと。過食嘔吐のメリットを強調し、正当化して続けてきたのですが、強迫性障害と認識すると、この行動に振り回されているというデメリットが急に大きく感じられるようになりました。

そこから急に過食嘔吐が悪者に見え、一気に自責感情が強まってしまいました。なんとかしなきゃと思うことで自分を追い込んでしまい、むしろ依存行為がひどくなるという悪循環になりました。そして、程々もできず、焦りすぎて上手くいかない状況になってしまいました。

一連の流れで痛感したのは「程々に」・「徐々に」というのが本当に苦手だということです。摂食障害の症状が落ち着いている仲間に聞くと「必要なくなれば、徐々に減ってくるのでは?」という答えが返ってくることが本当に多いですが、そこを焦ってしまいがちです。「ハームリダクション的に減らしていければいい」、頭ではそうわかっていても何かのきっかけで気合を入れすぎてしまいます。そして、気合のコントロールがまだうまくできません。

摂食障害の問題は、行為を止めることを目的にするのではなく、生き方の根っこの問題と向き合い、結果として依存行為を手放すという流れで向き合っていければいいと考えています。そのためには「慌てず・焦らず・諦めず」に向き合い続けなければと再認識しました。

人とのつながりを大事にする

万引きがやめられなかった頃は、人と会う機会が減っていました。「言葉尻から、万引きをしていることがバレてしまうのではないか?」という思いもありました。そして、誰かに会うためにいつも行かない街に行けば「交通費をかけてきたんだから、盗らなきゃ損」という盗りたい気持ちが頭を駆け巡り止まらなくなってしまい、会話もどこか落ち着かなくなります。それが嫌で、人に会いに行くことを避けていました。盗らない生活が送れるようになると途端にコロナ禍になってしまい、対面が叶わない期間が続きました。

この1年はコロナも落ち着いたことで、対面で人に会いやすくなりました。そして、学生時代の友人や以前の仕事関係の人などに会う機会も持つことができました。わたしがクレプトマニアであることを打ち明けられている人も増えています。依存行為が落ち着いていた大学時代の友人には「依存行為にハマっていた時期も悪くなったというより、良い面が出てなかっただけ。良い面がなくなったわけじゃないから自信を持っていい」と言ってもらい、とても勇気づけられました。

依存症は生き方の問題であり、生き方を変えていく必要があると思います。でも、すべてが変えられるわけではないし、変える必要がある訳でもありません。友人のことばは「自分らしさを大切にして、それを活かしていけばいい」と教えてくれたように思います。これからも積極的にいろんな人と会うことを続けていきたいと思います。

「自分らしさ」とは?

肝心の「自分らしさ」、そこがわかっていないように思います。相変わらず、自分の本当の気持ちがわからない、自分で自分を掴めていない気がします。「確固たる自分」のようなものがないことで、他者評価を気にする自分になってしまっているのではないか、そんな感じです。「自分らしさがわかるようになる、そしてその自分らしさを楽しめるようになる」、その辺りが次の課題なのかなと感じています。これから先はこのような「結果がわかりにくい課題」にじっくり取り組む必要がある段階になり、停滞していると感じることも多いのだと思います。課題があるというのは伸びしろがあるということ、「慌てず・焦らず・諦めず」にこつこつやっていきます。

4年が経過したとはいえ、逆に言えばその前までは万引きを繰り返し、多くの被害を生みました。その過去は変えられないものであり、忘れてはいけないものだと思います。そして、多くの人に支えてもらうことで今の生活があります。本当に感謝です。いろんな過去を少しでも意味のあるものにできるように、自分なりに行動していきたいと思います。

節目に書いている文章はこちらです。