「盗った時の気持ち」を分析してみる

万引きを手放すために

「こころの棚おろし」、盗っていた頃に抱いていた気持ちを思い出すことの重要性を考えてみました。

ある飲み会での出来事

先日、ある飲み会に参加しました。参加者は5人、わたし以外の4人は全員、わたしのことをクレプトマニアであると知っている方でした。他の人はクレプトマニアでも、他の依存症でもありません。ただし、クレプトマニアが窃盗がやめられない依存症であるということは知っています。そしてわたしがクレプトマニアであることを、決して腫物扱いしないんです。ごくごく自然に、普通に、そして楽しく話ができました。

その席である人に、「盗っているときって、どんな気持ちなの?」と聞かれました。直球の質問でした。どこか核心を突かれたようで、ドキッとしました。

向き合うことを避けてしまいがちな「盗っていた時の気持ち」

なぜドキッとしたか、それは普通の人にはわからない感覚だと改めて認識したからです。また、向き合わなければいけない問題にちゃんと向き合えていないと気づかされたからだと思います。

わたしは自助グループや入院中のミーティングなど、当事者のみが参加するクローズド・ミーティングに参加してきました。テーマが設定されることも多く、「盗っていた時の気持ち」がテーマになることもありました。でも、回数は多くないように思います。

クレプトマニアの診断基準には、以下のようなものが含まれます。

  • 窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり。
  • 窃盗に及ぶときの快感、満足、または解放感。

クレプトマニアは窃盗行為で、快感や満足感などを得ています。診断基準にあるわけですから、クレプトマニアとはそういうものなのです。でも、その気持ちと向き合うのは結構大変です。多くの場合、犯罪行為である窃盗に快感や満足感を得ていることは、ちょっとおかしいのではないかと気が付いているからです。普通の人とは違う状態になっている現実と向き合わなくてはいけません。そして、病気であるという現実と向き合うしんどい作業は、どうしても避けてしまいがちです。また、犯罪である窃盗行為にスリルを感じていたとか、満足感・達成感を得ていたということを伝えたら、相手はひいてしまうのではないかという不安もあります。いくら当事者同士、同じような気持ちを抱いていた人のみが参加するミーティングとはいっても、なかなか口に出せないという人も多いように感じます。過去の窃盗行為そのもの思い返す以上に、その時の心境を振り返るのはしんどい作業だと思います。

ミーティングのテーマは参加者が設定します。「考えるべき問題」、「他の人の話を聞いてみたい」などの理由でテーマに設定するわけですが、話しにくい内容・考えることがしんどいテーマはどうしても少なくなってしまいます

「盗っていた時の気持ち」を振り返る=「こころの棚おろし」

依存症の回復に向けて大事だと考えられていることの一つに、「棚卸し」があります。自分がやってきたことを振り返ることで、自分自身が起こした問題として過去を直視するためです。変えられない過去と向き合うのはしんどいですが、回復のためにはとても意味があることだと感じています。もともと「棚卸し」という言葉は、アルコール依存症の自助グループであるAAの重要な柱である12ステップの中にある言葉です。ここでいう「棚卸し」は「自分自身のこれまでの生き方に目を向け、そのなかの誤りをすべて認めていく作業」とのことですが、わたしは12ステップを詳しく勉強したわけではないので、きちんと理解できていません。ですので、ここの文章でいう「棚おろし」はひらがな表記にして、「過去の過ちを振り返り、(言葉や文字などにして)外に出すこと」と定義したいと思います。

クレプトマニアでいう「棚おろし」とは、「どこの店で盗った」とか、「警察に捕まったことで家族や職場に迷惑をかけた」など自分の過去の過ちを振り返ることだと思います。わたしは、このような行動や行動の結果起こったことを振り返ることは「行動の棚おろし」と考えています。これはわたしが勝手に作った言葉です。

それに対し、依存行為を繰り返していた頃の気持ちや考え方などを振り返ることを「こころの棚おろし」と考え、とても重要なものだと思うようになりました。やはり依存症は精神病であり、こころの問題が依存行為につながっていると思うからです。

具体的には、「万引きをすることでどんな気持ちが得ていたか」、「どんな気持ちで盗っていたのか」などです。これを行うことで、自分がクレプトマニアという依存症だと受け入れやすくなります。自分がクレプトマニアの診断基準に合致していることがわかるからです。また「行動の棚おろし」をして結果を振り返るだけでなく、その原因である「こころの棚おろし」をすることで再発防止対策を立てやすくなると思います。

「こころの棚おろし」をすることでわかったこと

わたしが「こころの棚おろし」の必要性を強く認識したは、万引きをしなくなってから半年余りが経った頃です。この頃、急に何とも言えない喪失感に襲われるようになりました。そして、この万引きを手放したことによる喪失感を抱いたことが、逆に万引きに何を求めていたかを改めて考えるきっかけになりました。

わたしは入院中に被害を与えてしまったお店に弁済をするために、やってきたことを思い出すという「行動の棚おろし」は、決して十分とは言えませんがある程度行いました。しかし、その時の気持ちを思い返すこと、つまり「こころの棚おろし」はあまりできていなかったと思います。喪失感を抱いたことをきっかけに「こころの棚おろし」をしました。すると万引きで何とも言えないスリル、満足感や達成感、そして背徳感を得ていたこと、更には「盗らねばならない」・「盗らないと一日が終らない」というような強迫観念からの解放感、それによる安堵感を得ていたと改めて認識することができました。

そこで考えたのは、「なぜ満足感や達成感を万引きに求めるようになってしまったのか?」ということです。振り返ってみると、原因としてうつになり仕事量が減ったこと、趣味のランニングをやめてしまったことで、普段の生活の中で満足感・達成感が得られなくなっていたことが考えられました。

このようにして、「こころの棚おろし」をきっかけに、万引きに依存するようになってしまった経緯がなんとなく整理できました。その結果、「満足感や達成感が得られなくなった状態は、スリップしてしまう危険性が高い」ということもわかりました。そこから、今後も盗らない生活を続けていくためには、満足感や達成感を得られる「万引き以外の何か」を探していく必要があると改めて認識するに至りました。

これらの経緯はこちらに詳しく書いています。

依存症はこころの問題が潜んでいる

依存行為に何を求めているかは人によって違います。クレプトマニアの仲間からは次のような話を聞いたことがあります。

・家族の財布からお金を盗ったり、万引きしたものを見えるように部屋に並べたりした。家族に気づいてほしい・振り向いてほしいという寂しさがあったのだと思う。
盗んだものを人にあげて喜ばれたことで自己肯定感が満たされた感覚があり、それ以来盗品を人にあげることがやめられなくなってしまった。
・仕事で失敗した時に自分だけの責任にされ納得がいかず、ものを盗ることで相手を困らせたかった。「復讐したい」という思いがあった。

盗っていた時の気持ちについて、考えてみてもわからないという人は多いです。そんな人でも仲間の話を聞くことで、「わたしも同じように感じていたかも?」などと気付きを得られることがあります。貴重な仲間の話を聞く場として自助グループを活用することをお勧めします

自助グループについてはこちらに書いています。

簡単ではないが、やるだけの意味がある

「棚おろし」のときには「行動の棚おろし」と同じくらい、もしくはそれ以上に「こころの棚おろし」が大切だと思います。「こころの棚おろし」はつかみどころがない作業です。どこまで行っても終わりが見えない感じがしたり、考えれば考えるほど逃げたくなるような辛い状況になることもあると思います。簡単な作業ではありません。でも、回復へのヒントがたくさん見つかるので、やるだけの意味があると感じています。

「棚おろし」をして過去の過ちを振り返ることは、自分の問題点を直視し、盗っていた頃に戻りたくないという気持ちを強くするうえでも、とても大切です。そして過去の経験を自助グループなどで語ることは、聞く側の仲間に気付きを与えることもあり、自分自身だけでなく、仲間の回復にもつながると考えられています。

「行動の棚おろし」も「こころの棚おろし」も決して楽な作業ではありません。自分の傷を自分自身で、グイグイと消毒するような感じでしょうか、痛みは伴います。でも、消毒することでその後の治りは違ってきます。放置しておくと後で化膿してくるかもしれない傷も、棚おろしをすることで消毒できる、そんなイメージです。そしてこの傷は完治することはありません。やはり、依存症という一生治らない傷があることを認識し、定期的に消毒をする必要があるのだと思います。

今回、飲み会の席で「盗っているときの気持ち」について質問されたことで、まだまだ「こころの棚おろし」が十分ではないという現実に気が付きました。盗らない一日を積み重ねるために、たまには「こころの棚おろし」をする機会を作っていきたいと思っています。

関連する項目はこちらです。