わたしの歪んだ認知

2020年2月3日

わたしが万引きがやめられなかった頃の「歪んだ認知」(偏った考え方)について書いてみたいと思います。
そして、盗っていた過去と盗らない今との違いを考えてみました。

「言い訳」が必要だった

毎日のように万引きをしていた時も、万引きが悪いことだということは分かっていました
「やめなきゃまずい」とは思っていました。
でも、万引きしてしまうんです。

そこで必要になったのが「言い訳」「自己正当化理論」です。

万引きをするために自分の中で理論武装していました。

どうせ捨ててしまうのなら…

わたしは万引きしていたものは食べ物、自分が食べるものです。
日用品や衣服などは普通に購入していました。

お店の商品を盗るようになる前は、お店の本物の食品のサンプルを盗るようになっていました。
「サンプルは売り物ではないから万引きではない」、「万引きではないから盗ってもよい」という理論です。
そして、サンプルとしての役目を終えて、捨てられることが嫌だったんです。
捨てられるくらいならわたしがもらいたいと思っていました。
「どうせ捨ててしまうのなら、わたしがもらってもいいだろう」、「食品ロスはいけないこと。だからもらってもよいだろう」という自己正当化です。

その後段々とエスカレートしてお店の商品(いわゆる万引き)を盗むようになったのですが、そのきっかけが売り場にある賞味期限切れのパンを見つけたことでした。
「どうせ捨ててしまうのなら、わたしがもらってもいいだろう」と思ってバッグの中に入れてしまいました。

エスカレートする万引きと自己正当化

万引き(お店の売り物を盗る)をするようになる前も、いろいろと悪さをしました。
サンプルを盗っていたのもその一つです。
それでも「万引きはしていない」と、変に自分の中で一線を引いていました。

しかし、自分の中で引いていた一線を越えたらどんどんとエスカレートしてしまいました。
一線を越えてしまったことで、「やってはいけない」ことが「やってよい」ことになり、あっという間に「やらねばならない」という考え方になってしまいました

「大半を買って、一部を万引きする」だったのが、あっという間に「ほとんど万引きする」状態になりました。
自分が食べるものについてはほとんど万引きしていました。
一部を除いては、自分の食べるものは「万引きしなくてはならない」くらいの考え方でした。

そこには世間一般のルールなどはありません。
なぜ万引きするのかと言われたら、「万引きすると決めたから」です。
お店に入っても、何にも万引きしない場合もありました。
でも、1つ欲しいものがあって「万引きしよう」と決めたら、スイッチが入ったように他のものも万引きしていました。
1つ万引きしたら、10個万引きしても同じ、そんな感じでした。

「万引きしなくてはならない」、「今日はあのお店で、万引きするのだ」、そういう考えが、一日中頭を支配していました

歪んだ認知に裏打ちされた行動を、強い決意でやっていました

歪んだ認知に基づくマイルール

わたしの場合、万引きしていたのは自分が食べるもののみです。
日用品や洋服などは普通に買っていました。
「服を万引きするなんてありえない」と思っていました
なぜそこは区別するのか、それは自分が決めたからです。

「万引きしたものはキレイなものではない。だから人にあげたくない、自分で食べてしまいたい」、そんな思いもありました。
そのため、冷蔵庫に保存しておく必要があるドレッシングなどの調味料は万引きしませんでした。
同居している両親が使うかもしれないからです。
なくなってしまうことが嫌なのではなく、盗んだものを両親が口にすることが嫌でした。

自分が食べるもの中でも、「これはお金を払って買わなくてはならない」というものもありました
なぜそれは万引きしないのか、それは自分が決めたからです。

歪んだ認知に基づいたマイルールに行動が支配されていました

歪んだ認知がさく裂する

わたしが最も万引きしたくなる状況の一つが、閉店間際のお総菜売り場でした。

閉店間際のお総菜売り場には値引されたお総菜が並んでいます。
ほとんど残っていないこともあれば、大量に売れ残っていることもあります。

大量に売れ残っているお総菜を目にすると、歪んだ認知がさく裂します

売れ残ったらどうせ捨ててしまうのだから、万引きしてもいいだろう
食品ロスが減るんだから、万引きしてもいいだろう
お店の人も捨てる手間が省けるんだから、お店の人にとって悪い話ではないだろう

こんなことを考えて、バッグにお総菜を詰め込んでいました。

少しでも罪悪感を減らしたかった

当たり前のように万引きをする日々が続いていましたが、段々と精神的に辛くなってきている感じはありました。
「やめなきゃまずいのにやめたいと思えていない」自分に、危機感を持っていたからだと思います。
万引きする量や方法が大胆になっている感覚もあり、いつ捕まってもおかしくないとも感じていました

そうなると、さらに些細なことで自己正当化をしていました。
「こっちの方が賞味期限が短いから、こっちなら万引きしてもいい」、「3つ商品があるから、2つなら万引きしてもいい」、「もうすぐシーズンが終わるから万引きしてもいい」などなど、あげたらきりがありません。

お店のせいにすることもありました
「作りすぎで売れ残っているのはお店が悪い、だから万引きされても仕方ない」、「お店の警備が甘いから、万引きされるのは自業自得」、「ほしいものを取り揃えていないから、代わりの品を万引きしちゃえ」など、こちらも上げればきりがないです。
お店の人が聞いたら怒り心頭だと思いますが、それが現実でした。

捕まった時の心境

わたしがお店で捕まった時は、保安員の方に声をかけられました。
悪いことをしているという認識はありましたので、抵抗しようとか逃げようとは思いませんでした。

最初に捕まった時に思ったことは、「やばい、親にばれる」ということでした。
親に怒られるということではなく、「親を悲しませる」ということに情けなさや申し訳なさを感じていました

一方で、お店に対しては申し訳ないという気持ちは持てていませんでした
「なんで捕まってしまったんだろう?」、「盗り方がまずかったのかな?」、「いつから後をつけられていたんだろう?」などという感じでした。
「このお店の○○は好きだったのに、もうこのお店では万引きできないな」なんてことも考えていました。

お店の方に「ちっとも悪いなんて思ってないだろう!」と怒鳴られたことがあったのですが、その通り過ぎて何も言い返すことはできませんでした。

警察での取り調べで

警察の取り調べでも、苦労しました。
というのも、自分の考え方が歪んでいるのは分かっているので、本当のことが言えないのです。
万引きした理由を聞かれても「自分で盗ると決めたから盗りました」なんて言えません。

「お金持っていなかったわけじゃないよね?」、「はい」。
「万引きしちゃいけないことくらい、わかるよね?」、「はい」。
「じゃあ、なんで万引きしちゃったの?」、「…」。
「お金がもったいなかったから?」、「…はい」。
最後は、「そういう気持ちもなくはないので、そういうことにしておきます」という感じでした。

スイッチが入るとどうしようもできない

万引きしていた時でも、万引きはいけないことだということはもちろんわかっていました
そして自分の頭に思い浮かぶ「自己正当化理論」がおかしいということも分かりました
でも、一度その理論に頭が支配されてしまうと抵抗することができない状態でした。
万引きスイッチが入ってしまうと、どうしようもありませんでした。

そして、いけないことだわかっていたので、万引きをしているということを隠しました
考え方がおかしいということも分かっていたので、心の内を人には言えませんでした

このような頭の中・心の内を外に出せないから、精神的に辛くなり依存行為を助長するという悪循環にはまっていたように思います。

盗っていた過去と盗らない今の違い

以前は認知の歪みに支配され、毎日の万引きが日課のようになっていました。
そこから通院や入院、自助グループへの参加を続け、盗らない一日を積み重ねられるようになりました

盗っていた過去と盗らない今、何が違うのでしょう?

万引きをしてきたということ、そして頭の中が歪んだ認知に支配されていたということを正直に話せたことが大きいかなと思います。

過去の「行動」と「心」をことばとして表に出すことで客観視できるようになりました
客観視することで過去の自分、盗っていた頃の自分に戻りたくないと思うようになったんです。

今でも認知の歪みはあります
わたしの考え方は依存症に多いとされる認知の歪みの特徴に多く当てはまります。
それでも盗らない生活を送れるようになったのは、いろんな要因がありますが、多くの人の助けを借りて正直に話せる状況になったのが一番大きいと感じています。

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