依存症は「否認の病」、2つの否認を克服する 

2020年10月27日

依存症は「否認の病」と言われます。この「否認」には2つの意味があるのではないかと思っています。

一つは「自分が依存症であること」を否認する、そしてもう一つは「依存症である自分」を否認することです。

依存症はなぜ否認の病と言われるのか?

依存症は「否認の病」と言われます。

否認とは、自分が依存症であると認めないことであり、依存症の人は多かれ少なかれ誰もが持っている心理だとされています。「自分は依存症ではない」と依存症を全く認めないことに加え、「やめようと思えばいつでもやめられる」、「依存症だと思うが、それほど重症ではない」など、実際よりも問題を軽く考えることも、否認と考えられています。「盗りやすい商品の並べ方だったから」、「警備が甘いのが悪い」などと、窃盗行為をコントロールできない原因を他のことにすり替えたり、「悪魔に取りつかれたから盗ってしまう」、「やめられるわけがない」などと、最初からあきらめてしまうのもよく見られる否認です。

否認は、自分が深刻な状況にあることから身を守るための心理的な防衛機制の一種で、依存症患者は多かれ少なかれ否認があるものです。しかし否認は問題の解決を妨げるものであり、否認の克服が依存症の回復プロセスそのものともいわれています。

自分が依存症であることを認める

依存症の回復には「自分が依存症だと認める」こと、つまり自分で行為欲求を抑えきれなくなっている事実を認めることがとても重要です。「万引きはだめだとわかっているけどやめられない」、「お店に行かなければいいのに、それが我慢できない」、「常に盗ることばかり考えてしまう」など、自分の意志だけでは窃盗をやめられない状況になっていることを認めることです。

依存症は一人での回復は困難であり、周囲に助けを求める必要があります。自分から助けを求めたり、周囲から差し伸べられた救いの手を受け入れるには、自分が依存症だと認めることが重要です。

依存症であると認めることが、回復への大きな一歩となります。「依存症であることを認められれば、回復への歩みが半分以上進んだと考えてもいい」と言われるほど、依存症であることを認めるのは意味があることです。

依存症である自分を認める、受け入れる

もう一つの「依存症である自分」を否認するということが、とても厄介な問題なのではないかと感じています。つまり、「依存症である自分を認める、受け入れる」ことができれば大きく変われる気がしています。

依存症患者は、依存症になってしまった自分を責めていることがとても多いです。そして、そんな自分を否定的にとらえ受け入れられてないことが多いと感じます。依存症に対する社会の理解が進んでいないことも、大きな要因の一つです。依存症は「意志の病」だと誤解されていて、自分の意志の弱さにその原因を求めてしまいがちだからです。

以前のわたしは、「クレプトマニアになった自分」を受け入れることができませんでした。依存症だということを認めて通院を始めてはいたものの、依存症になってしまった自分、つまり「弱い自分」を認めることができませんでした。でも、依存症になったことに意味があると思えるようになった時に考え方が変わりました。

「依存に助けられた、依存があったから生きてこれた」

わたしは人に弱みを見せるのが下手です。自分で自分に負荷をかけて、自分を追い込んでしまいがちなのですが、きついときに「キツイ」と言えないのです。助けを求めるのがとても下手です。その結果、精神的に追い詰められた時に、その捌け口として万引きを利用していたのだと思います。決して良い方法ではありませんが、そうやって精神のバランスを保っていました。わたしはうつになった時期もあり、希死念慮(死にたいと思う)が出たこともありました。もし、万引きで精神のバランスをとれていなかったら、さらに自分を追い詰め自死という方法を選んだかもしれません。

そう考えると、「あの時のわたしには万引きが必要だったのかもしれない。万引きという依存があったから生きてこれたのではないか。」と思うようになりました。決して、万引きをしていた自分を正当化するという意味ではありません。他の方法で対処できていれば、もっとよかったと思います。でも、そのときのわたしにはそれしか方法がわからなかった、依存行為として万引きに走ってしまったのはある意味仕方なかったんだと考えています。

わたしは万引きという依存行為に頼ることで生き延びることができた、依存行為に助けられたのだと思います。そう思えるようになって、依存症になった自分を認め、受け入れられるようになりました

依存症になった自分を認めることで起こった変化

万引きに頼らざるを得なかった自分を認め、その自分を受け入れられたことで、今まで隠してきた過去の万引きについて正直に話すことへの抵抗感が少なくなりました。むしろ、隠していることの方がしんどいとさえ思うようになりました。また、依存症になった自分を認めることができるようになったことで、依存症になった自分を責める気持ちが減り、以前より自己肯定感の低さが改善したと思います。

依存症患者には自己肯定感が低い人が多いとされています。元から自己肯定感が低いことに加えて、依存症になってしまった自分を責めることでさらに自己肯定感を下げていることも、とても多いのです。この悪循環によって、さらに依存行為が助長されるということもあります。

自己肯定感の低さの改善は、回復に向けていい影響を与えます。依存症である自分を認められるようになったことは、万引きをしない生活を送るうえで大きな変化をもたらしたと感じています。

一方で、忘れてはいけないことがあります。万引きによって自分は救われたと言っても、それは犯罪行為であり、多くの方々に迷惑をおかけしました。犯罪行為によって救われた以上、それによって迷惑をかけた方々への贖罪はずっと続けていかなければと思っています。

依存症患者は生命力が強い

先日見たテレビドラマのワンシーンで、印象に残ったセリフがあります。

「依存症は弱いからなるのではない。むしろ強いから、依存症になる依存症になってでも、生きのびようとしている。だから、生きる力が強いんだ。」

これはアルコール依存患者が医師に「わたしは弱いからアルコール依存症になったんですよね?」と質問した時の返答です。こういう考え方もあるんだなと、目からうろこでした。

依存症になった自分を受け入れられないという人には、依存症になったことを前向きにとらえる上で何かヒントになる考え方かもしれません。

過去の自分を否定し続けても仕方ない

日本社会には「意志が弱いから依存症になる」、「依存症から回復できないのは意志が弱いから」という間違った解釈がまだまだ多く存在します。さらに、依存行為が犯罪行為であるクレプトマニアは特にその風当たりが強く、自分で自分を責めてしまいがちです。自分で自分を責めることで、依存行為を助長するという悪循環にはまりやすいのです。

過去と他人は変えられないと言います。過去を変えられないのはもちろんですが、依存症に対する偏見といった周囲からの風当たりも簡単に変えられるものではありません。でも、自分なら変えられます。いつまでも過去の自分を否認していても、自分自身を追い込んでしまうだけです。

過去の自分は変えられませんが、今の自分を変えて過去を受け入れることはできます。過去の自分と向き合い受け入れること、つまり依存症である自分を認めることは回復し続ける上でとても重要なのではないでしょうか。

関連する項目はこちらです。