盗らない日々を送れるようになってよかった

思うことあれこれ

盗らない日々を送れるようになって、とにかく「楽」になりました。脱却できてよかったと、心から思っています。

盗っていた頃はやめたいと思えなかった

毎日万引きをする生活をしているときは、万引きをやめたいとは思っていませんでした万引きをやめた方が辛くなると思っていました。万引きから達成感・満足感といった快感を得ていましたし、お金を使わずに食べ物を得ることができていたからです。また、お店から出る時のビクビクした感情といったスリルも楽しんでいる節もありました。家に帰って、盗って品物を見てニンマリしたりもしていました。

一方で苦しくもありました。常に何かに怯えている感じでした。未精算の商品を持ってお店から出る時にビクビクするのはもちろん、何もしていなくても警察官を見かけたり、交番の前を通ったりするだけでドキドキしていました。家のインターホンが鳴れば、万引きがバレて警察捕まえに来たのではないかと思いました。街で後ろから肩を叩かれてハッと振り返ったら、落としたタオルを拾ってくれていたなんてこともありました。帰宅後に盗ってきた品物を並べてニンマリすることもありましたが、その後にはすぐに「何やってるんだろう…」という、むなしい気持ちになることもありました。

毎日のように万引きをしていることは誰にも話していなかったので、何気ない会話でもバレるような発言はしていないかと常に気を使っていました。万引きを隠すためにちょっとした嘘をつくと、嘘に嘘を塗り固めていかなくてはならなくなります。それがしんどくて、一層のこと全部話してしまおうかと思ったこともありましたが、そんな勇気はありませんでした。

そして何より、毎日万引きしていることがバレて、万引きできなくなることが嫌でした。 捕まらないで済むなら、ずっと万引きしていたいと思っていました。「”ずっと続けたい、このまま捕まらなければいい。でも、それは無理だろうな…”とも思っていながらも、”今日は大丈夫だろう!”と万引きをする。」、「やめなきゃいけないとわかっていてもやめたいとは思えず、とにかく今日万引きをすることに必死」という感じで、先のことなど考えられませんでした。

降参して自分から入院を決意した

自分から病院に行ったのは「万引きをやめたい」というよりも「やめないとまずい」という思いからです。「自分ではどうしようもできない」と降参したからでもあります。四六時中、万引きのことが頭から離れず、万引きに洗脳されているような状態でした。「盗れる環境でガマンする」それができるとも思えず、自分一人の力でやめられるイメージが持てませんでした。これ以上捕まったらまずい、前科がつくのは嫌だという打算的な考えが働いたというのも事実です。

盗ってない今だからわかる、盗らない生活の方が楽

万引きをやめたいと思えていなかったわたしでしたが、「やめなきゃまずい」という思いから「やめる」という覚悟を持って入院治療に取り組みました。そして、今は盗らない一日を積み重ねられるようになりました。

そんな今だからはっきりと言えるのは、「盗らない生活の方が楽」ということです。

毎日万引きをしていた頃は、万引きをしていたことに対する後ろめたさが心の中に常にありました。万引きしていることを隠すことに必死で、毎日疲弊しきっていました。今に思うと、誰にも言えない後ろめたさを抱え、すごく苦しかったです。身体は何かにとりつかれたように重かったです。
入院生活中に入院仲間、主治医、家族、自助グループの仲間に今まで毎日のように万引きをしてきたことをやっと正直に話しました。1人で抱えていても万引きをやめられないことを受け入れ、正直になれたこと・隠し事がないことでこころが軽くなり、とても楽になりました。

入院中の外泊で自宅に戻った時、久しぶりに万引きをせずに一人でお店を出る機会がありました。入院前なら盗った商品を入れた大きなバッグを抱え、ビクビクしながらお店を出ることがほとんどでしたが、その時は万引きせず荷物もなく外に出ました。 荷物がなくて肩が軽かったということもあると思いますが、 その時の感覚は、背中から羽が生えたような感覚でした。身体が軽くて、飛び上がるんじゃないかというくらいでした。後ろを気にせず堂々と胸を張ってお店を出ることができたんです。 普通の人から思えばごくごく当たり前のことですが、こんなに気持ちが楽なんだと驚いたことを今でもよく覚えています。

盗らない自分を取り戻し、とても気持ちが楽になりました。

盗らなくなって、自分の問題点と向き合えるようになった

毎日万引きしていた頃は、常に万引きに頭が支配されていました。「万引きファースト」でした。一日の万引きを終えてお店を出たときには明日はどこで万引きしようかと考えている、そんな状態でした。それに加えて捕まることに対する怯えや後ろめたさなどもあったので、精神的には全く余裕がなく自分の問題点と向き合うことなどできる状態ではありませんでした

それが盗らなくなったことで、精神的に随分と楽になり自分の問題点と向き合うことができるようになりました。何とか、回復へのスタートラインに立てた、そんな感じでした。

窃盗に依存してはいけない

依存症の人が、その依存にどっぷりはまっているときはやめたいと思えないのはよくあることです。依存行為は有害とは分かっていても、それによるメリットも感じているからです。クレプトマニアで言えば、窃盗行為をすることのスリルを楽しんでいたり、盗むことで得をしているからです。

でも、やっぱり有害です。特に依存症の中でもクレプトマニアは依存行為が犯罪なんです。しかも、同じ犯罪である薬物依存とは違って、他者に被害を与えてしまうんです。自業自得だけでは済まされません。被害を与えてしまうからこそ、他の依存症以上に後ろめたさが強くて疲弊している部分もあると思います。

これらの精神的なデメリットはお金に変えることができないと思います。万引きして、お金が浮いたところでその浮いたお金を見てもこの後ろめたさは消えませんから。そしていくら時間が経っても、完全に消えることはありません。良くない意味でプライスレスなんです。「信用」や「こころの落ち着き」など、どんなに大金を払っても買えないようなものを失います。万引きをしてお金を浮かせたツケが後になって回ってきます。なんて馬鹿なことをしたんだろうと思ってももう戻れないんです。この感情は少しでも少ない方がいい、一刻も早く万引きから脱却した方がいいです。

気持ちが楽になったことが、何よりも大きい

万引きしているとお金を使わずにものが手に入るので得した気分になります。でも、それは一時的です。捕まって仕事を失ったり、多額の裁判費用がかかったり…。そして人間関係や家族を失うこともあり得ます。社会的にも経済的にも、得することはないと思います。盗らない生活を送れるようになれば、盗ることによるメリットよりも、盗らないことによるメリットの方がよっぽど大きいとわかります。

今はこのように思っていますが、依存症であるクレプトマニアは完治することのない病気。いつ再発するかわかりません。 わたし自身も気を引き締めて、盗らない一日を積み重ねていけるように頑張っていきたいと思います。

関連する項目はこちらです。