返金・謝罪文作成で得られたこと

思うことあれこれ,わたしの実体験

入院中に被害店舗に被害代金を郵送で返還しました。返金をすることで自分自身にとってプラスになったと思うことを書いていきます。

返金の取り組みについてはこちらで書いています → 「入院中の取り組み③-被害店舗への返金

被害金額を自覚し、乏しかった罪悪感を強めることができた

被害店舗に返金をするために、まずは今までの行動を思い出し、被害を与えた店舗をリストアップしました。
そして、このくらい盗ってしまったというおおよその金額を書き出しました。こうすることで、自分がお店側に与えた被害が視覚化され、客観的に見ることができるようになりました

万引きがやめられなかった大きな要因の一つに、万引きに対する罪悪感の低さがあります。わたしはお金にシビアなところがあるので、与えた損害を金額として具体化することで、罪悪感を高めることにつながったと感じています。漠然と、「たくさん万引きして、お店に迷惑をかけた」と感じていた時よりも、やってきたことに対する罪悪感や情けなさが強くなり、もう万引きを繰り返す生活に戻りたくないという思いを強くすることができました

謝罪文を書き続けたことで得た内発的動機づけ

被害店舗への返金は、現金書留を店舗に郵送するという形で行いましたが、その時に謝罪文を同封しました。そのため、何枚も何枚も謝罪文を書きました。繰り返し謝罪文を書いていると、多くの人に被害を与えたことを痛感し、段々と情けない思いが積み重なっていきました。そして過去を悔やむ気持ちとともに、「もうこんな情けない思いはしたくない。」いう気持ちが生まれました。

それまでにも万引きをやめなくてはいけないという気持ちはありましたが、それは「家族に迷惑をかけないようにするために」、「お店に迷惑をかけないようにするために」、「捕まらないようにするために」というような、「外発的動機付け」に基づくものでした。それが何度も謝罪文を書いたり、封入作業をすることで、「もうこんな情けない思いはしたくない」という「内発的動機づけ」が生まれました。

万引きを「やめなきゃいけない」というレベルではなく、「やめたい!」と思えるようになりました。

返金作業終了で一区切り

被害店舗をリストアップし、謝罪文を書いたり、封入作業をしたりとそれなりの時間をかけて準備を行ったこともあり、郵便局から発送したときはそれなりの達成感・満足感がありました。金銭的な贖罪が一区切りついたことで、「変えられない過去を見るのはこれで一区切り、前を向こう」という気持ちになっていました。

変えられないものとして過去を見ないことにすることは悪いことではありません。でも今思えば、返金をすることで、どこか赦されたような浮ついた気持ちになっていたと感じています。

送ったお金が戻ってきた

書留を発送してから1週間も経たないうちに、発送先から様々な反応がありました。郵便局員からの受け取りを拒否したお店、郵便局員からは受け取ったものの未開封で返送してくださったお店、書留を受け取ったがお金は受け取れないとして返送されたお店、商品代金は受け取れるが迷惑料は受け取れないというお店、全額受け取ってくださったお店、対応は様々でした。返金するつもりで郵送したお金でしたが、最終的には金額にして半分以上が手元に戻ってきました

また、同封した文面に「雑費や募金・寄付として処理するなど、なるべく受け取っていただきたい」という旨を記載していたので、実際受け取ってくれたお店でもどのように処理されているかはわかりません。通常の売り上げとして計上されてないことも多いと思われ、返金すれば金銭的な穴埋めをできるというような甘いものではないと痛感しました。

優しさが痛かった、情けなかった それが底つき

お店側の反応は正直なものでした。「今更お金送ってきて、赦されるとでも思ってるの?」、「そういう問題ではないんだよ」、「もう万引き犯とは関わりたくないです、謝罪も拒否します」というお店からのメッセージだと感じました。考えてみればそうですよね、「万引き犯とは関わりたくもない」と思うのはごくごく普通の発想だと思います。こちらが謝罪したところでそれを受け取るかどうか、更には赦すかどうかは被害者側が決めることです。「後からお金を送れば、お店に与えた損害を穴埋めできる。赦してもらえる。」なんてことはなかったんです。返金をすれば被害店舗にお金が渡り、罪を償えると思っていた自分が浅はかでしたそんな甘い考えでいた自分が情けなくなりました。やはり、万引きはやってはいけないことであると痛感し、盗っていた頃の自分に戻りたくないという気持ちが一層強くなりました

返送されてきたお金には丁寧なお手紙が同封されていたものもありました。「事実確認ができずお金は受け取れないが、気持ちは受け取りました」、「治療に取り組み1日でも早く、良くなってください」など、被害者から加害者へのことばとは思えないものでした。 一方的にこちらが悪いのに、お手紙にはとても温かい言葉が並んでいました。 読んでいて涙が出ました。 その優しさが、逆に痛かったです。被害者の方たちの優しさのある対応に触れ、万引きを繰り返していた自分が情けなくなりました。謝罪文を繰り返し書いた時以上に情けなさを感じました。わたしの中では、この時の経験が「底つき(依存を手放そうと思うきっかけになるような痛い目にあうこと)」です

被害者の方が赦してくれているかどうか、本当のところはわかりません。ただ、返金という行動自体は認めてくださった方もいるのかなと感じています。このように温かくとらえ、やり直しを応援してくださる人たちのためにも、盗らない一日を積み重ねる努力を続けていかなければと強く思うようになりました。

返金して、お金以上の経験が積めた

被害店舗への謝罪文を書き返金をしたことで、「もうこんな情けない思いをしたくない」という内発的動機づけを得ることができました。また、過去に対する罪償い(埋め合わせ)に限界があることがわかりました。埋め合わせをしたことで、埋め合わせできないものがあることを痛感し、「万引きをやめたい、二度とやりたくない」と思えるようになったと同時に、将来に向かって罪償いを続けていこうという気持ちになりました。

「過去のことは水に流して、気持ちを切り替えて前に進む」、そういう考え方もあるとは思いますが、わたしにはそれはできないし、忘れない方が良いと思っています。かといって、過去のことを引きずりすぎてしまうとそれが新たな苦しみを生み、依存行為に走ってしまう可能性もあります。わたしは基本的には正義感が強いタイプなので、今となっては万引きを繰り返したという過去のことで自分を追い込んでしまいがちです。禊が済んでいない、そういう感覚があります。忘れてはいけないが、引きずりすぎてもいけない、そのさじ加減が難しいところです。

返金・謝罪文作成は万引きの抑止力として得られるものが多くありました。すごく身勝手ですが、受け取り拒否など「赦せない」とはっきり示されることで得られたものもありました。謝罪を受け入れるか・赦すかどうかは相手が決めることであり、それをコントロールすることはできません。被害を与えたのだから受け入れられなくても仕方ないと思います。どんなに誠意を尽くしたところで、伝わるわけではない。だからこそ、もうやらない、そう思えました。

返金・謝罪文を受け取ってもらえなかったことも含め、謝罪したことにはとても意味がありました。被害者のことを考えずに万引きを繰り返したわたしが、被害者の痛みを想像し謝罪文を何度も書くことは、結果的に自分にプラスになることがたくさんありました。返金したお金では買えないような、プライスレスな経験を積むことができ、やってよかったと思っています。でも、もう二度と返金作業はしたくないです。二度と返金作業をしなくて済むように、盗らない生活を続けていきたいと思います。


※被害代金を被害店舗に返還するという意味で、「返金」ということばを使いました。
※今回の返金は主治医に相談し、専門家の助言を受けたうえで行ったもので、治療プログラムとして強制されたものではありません。
※この文章はわたし自身の体験・感想を記したものであり、「被害店舗への返金をした方がいい」・「返金すべきだ」という趣旨のものではありません。

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