被害者の立場を経験してわかったこと

万引きを手放すために,わたしの実体験

入院中にボールペンを盗まれるという経験をしました。この経験は、盗らない生活を送るうえで意味のある経験でした。

入院中にボールペンを盗まれた

ボールペンを盗られてしまったのは、病院内でのMTM(万引き盗癖ミーティング、当事者のみが参加)の後です。ミーティング中に名簿を回覧し記名するのですが、その時に一緒にボールペンを回します。わたしのところにも名簿とボールペンが一緒に回ってきたのですが、ボールペンのインクが切れて書けない状態でした。そこで私物のボールペンを一緒に回したのです。ミーティングが終わった後に回収しようと思っていました。

ミーティングが終わった後、ちょっと話をしたい人がいたのでしばらく立ち話をしました。その後ボールペンを回収しようと名簿がある場所に行ったのですが、ボールペンが見当たりません。あ、まずいなと思いました。というのも、クレプトマニア患者が多く入院する病棟内では度々窃盗が起こるからです。入院したからと言って、すぐに窃盗がやめられるかと言ったらそんな簡単ではないのです。病棟内にも監視カメラがある、持ち物リストの提出が義務づけられ不定期に持ち物検査が行われるなど対策は立てられていますが、起こるものは起こります。

ボールペンがなくなる1週間前頃にはマグカップとスプーンがなくなっていたので、多少は注意していたつもりでした。でも、なくなってしまいました。状況から考えて、誰かが盗ったことは間違いないと思います(マグカップとスプーンは後日、なくなった場所から離れた目につかない場所に置いてあるのを見つけました)。

なぜショックが大きかったか?

なくなってしまったボールペンは名前入りのボールペンでした。目立つ色だったので、誰かが使っていればすぐわかります。

そのペンには強い思い入れがありました。わたしはいろいろとこだわりが強いのですが、決まったものを使い続けることに執着するところがあり、このボールペンがまさにそれでした。入院前から使っていたボールペンで、入院生活をこのペンとともに頑張ろうと思い、多めのノート・替え芯とともに入院時に持ち込んだのです。そして、毎日の日記はこのボールペンで書きました。このペンでないと、書く気にならないという感じです。さらに、過去被害を及ぼしてしまった店舗に弁済した時に同封した謝罪文を書いたのも、書留封筒にあて名書きしたのもこのボールペンでした。何枚も何枚も謝罪文を書いたときの情けない思いを忘れないためにも、今後もこのボールペンを使い続けたいと思っていました。

そんな思い入れの強いボールペンがなくなってしまったのです。そのショックは相当なものでした。

必死に探し、いろんな人に事情を話した

とても大事にしていたものなので、必死に探しました。そして、負の感情をため込まないようにしました。 それまでやってきた負の感情を抑えこむという方法はよくないということを知識として身に着けていたからです。以前なら、自分は悪くないと思いながらも「大切にしているボールペンを不用意に回した自分が悪い」、「ミーティング後すぐに回収に行かなかった自分が悪い」と自分のせいにして無理やり納得させ、負の感情を抑えこんでいたと思います。でもそのときは「負の感情は悪いものではないしちゃんと向き合おう」と思いました。そこで、 入院仲間や看護師などいろんな人にボールペンがなくなったこと、そしてそのボールペンはとても大事なものであり、なくなったことに大きなショックを受けていることを何度も話しました。周囲からは「まだ同じこと言っているよ」、「もう諦めればいいのに」と思われていたかもしれません。本当に、しつこいくらいに、ボールペンがなくなったことの無念さ、やるせなさを話しました

最終的には見つかりませんでしたが、いろんな人に話を聞いてもらったことで諦めがついたように思います。ちょうど被害弁済のための現金書留のあて名を書き終えたタイミングだったので、「これで今までのことは一区切り、また新しいボールペンを買って心機一転、頑張ればいい」、そう気持ちを切り替えることができました

盗ったものにどのような背景があるか、考えたこともなかった

今回なくなったボールペンは、傍から見ればただのボールペンです。わたしが強い思い入れを持っていたなんてことは、パッと見ただけではわかりません。盗った人も、軽い気持ちで目の前のボールペンを盗ったのだと思います。

わたしも、万引きを繰り返していた頃は、盗ったものにどのような背景があるかなんて考えたこともありませんでした。盗ったものに対しても、盗ることによって与える被害に関しても、目の前のことしか考えられていませんでした。そこにあるものとしてみることしかできず、それに所有者(被害者)の姿を浮かべることができませんでした。本当に刹那的でした。盗ることに必死で、考える余裕もなかった、これが本音です。

被害者の立場に立って考えることの大切さ

「何も悪いことをしていないのに、被害にあう」被害者の立場になることで、これは本当に腹立たしい、許せないことであると強く感じました。すぐに回収に行かなかった自分の行動にも問題がありました。でも、やっぱり盗る方が悪いと何とも言えないやるせなさを抱くことも痛感しました。また、相手の立場に立って考えるという小学生でもできるようなことができていなかったと強く認識しました。

大事にしていたものを盗られるという経験をし、やっと被害者の立場で考えることができるようになってきた気がします。怒り、やるせなさなど多くの負の感情をたくさんの人に抱かせていたということがわかりました。そして、今更ながら自分が万引きを繰り返してきたこと・多くの被害者を生んでしまったことに強い罪悪感を持つようになりました。本当に、今更です。

目の前のものの背景に何があるか、盗ってしまったらその先にどんなことが起こるのか、想像力を膨らませることができるようになるうえで、貴重な経験になったと感じています。もう同じような思いはしたくありません、そしてそれと以上に他人に同じような思いをさせてはいけないと思いました。

相手の立場に立って考えられるようになるために

あるとき、「クレプトマニアには被害者の立場に立って考えることが苦手な人が多い」という話題から、「どうすれば相手の立場で考えることができるようになるか?」ということに話が広がりました。話に参加していたのは、わたしがクレプトマニアであると知っている、クレプトマニアではない人たちです。

その中でとても印象に残っているのが、「いろんな場面で気持ちを共有する経験をしたらいい。それは怒りや憎しみといった負の感情もあるが、むしろ喜びや楽しさなどのポジティブな感情の共有が大切なのではないか?」という話です。その話を聞いた時、目からウロコというか、新たな気づきが得られた感じがしました。

わたしは「相手の立場に立って考える」ことを意識するとき、多くの場合で怒り・憎しみ・苦しみといった負の感情の場面を想定していました。その結果、「相手の立場に立って考えるのは苦しいこと」というようなネガティブなイメージが先行してしまい、苦手意識に拍車がかかってしまっていたように感じています。逆に、ポジティブな感情を共有する経験は相手の立場に立って考えることが楽しいと感じることつながり、苦手意識の軽減に役立つのではないか、そう思いました。

ネガティブでもポジティブでも普段から自分の気持ちを外に出し、いろんな場面で他人と感情を共有することが、こころの内圧を下げることにもなり、相手の立場に立って考えることのトレーニングにもなりそうです。ひいては盗らない生活につながっていくのではないかと感じています。

被害の立場で考える、おすすめの本

万引きをすることでどんな影響があるのか、被害者の立場で考えられるようになるためにおすすめの本が「『中学生までに読んでおきたい哲学② 悪のしくみ』」です。

18編の短編小説が収録されていて、一番最初に「万引き」という小説が掲載されています。中学生までに、とありますが、小学生でもわかるような内容で5分もあれば読めます。

続きをこちらに書いています。

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