盗っていた頃に戻りたくない

思うことあれこれ

回復への取り組みを継続することで、今は「盗りたいと思わない」、「盗りたくない」・「盗っていた頃に戻りたくない」と思えるようになりました。

「本当に盗りたくないんですか?」

先日、万引きがやめられないというクレプトマニア当事者の方から次のような質問を受けました。

『「勿体無い。鞄に入れられたのに…」といった、悔しい気持ちは全くないのでしょうか?』
『買う時に「この中の一個や二個位なら絶対にバレないのに」といった気持ちも、全くありませんか?』

このような質問をする気持ち、すごくわかります。わたしも盗っていた頃はやめられるイメージが湧かなかったからです。わたしは自助グループに通い始めてからも万引きが一向にやめられませんでした。やめたいと思えておらず、やめようとしなかったというのが正直なところです。自助グループには万引きを止められている仲間がいて、「盗りたい気持ちもない」という話は聞いていたのですが、参加し始めた当初は自分がその段階に行けるというイメージができませんでした。「本当に盗りたいと思わないのかな?」と仲間の話を聞いて半信半疑でした。

「盗りたい」と思うことはない

当事者の方からの質問を受けて、「盗りたいという気持ちはないのか?」改めて考えてみました。

「盗れなくて悔しいと思うことはない」、「店内を歩いていて”この状況だと盗りやすい、バレないだろうな”、”前なら盗ってたな”と思うことはあっても、それが盗りたいという気持ちや行動につながることはない」、それが今の正直な気持ちです。「”絶対にバレない”としても盗りたくないし、”絶対にバレない”という根拠のない自信がよくないんだろうな」とも思います。バレるかどうか、捕まるリスクの程度で行動を決めているわけではありません。むしろ、「バレないなら盗ってもいいかな?と思ってしまう自分には戻りたくない」です。本当にかっこ悪いので。

今は「盗りたいと思わない」というよりも、「盗りたくない」・「盗っていた頃に戻りたくない」という心境です。買い物の時の行動の選択肢に万引きはありません。

やましい自分に戻りたくない

万引きはバレるかどうかに関係なく、被害を与えています。加害行為であることは当たり前なんですが、万引きを繰り返していた頃はそこがきちんとわかっていなかったです。入院した時にやっと、加害行為であるということをきちんと認識できていないことに気がつきました。罪悪感が低い、そしてピントがずれていました。被害者のことを全くと言っていいほど考えられていないことを痛感したので、その現実と向き合うことを意識しました「罪悪感の低さ」と向き合う)。わたしは自分勝手な行動で被害者を生み出してしまったのですが、被害弁済のために謝罪文と弁済金を郵送したときに被害者の方から優しいことばをかけていただいたんです。どう考えてもこちらが悪いのに、被害者の方から「頑張って回復してください」と応援していただいたんです。その優しさが痛くて、本当に情けなくなりました。自分のやましさを恥ずかしく思いました。その時の何とも言えない情けない気持ちがわたしにとっての底つき体験です(被害弁済・謝罪文を書いて得られたこと)。もう被害を与えるようなことはしない、そのためにも回復のための努力を続ける、そう覚悟を新たにしました(回復にはやっぱり覚悟が必要)。

自分のためにも、盗らない

万引きを止めることができて冷静になって振り返ってみると、万引きし続けることで自分で自分を追い込んでいたと思います。自分で自分を傷つける、自傷行為だったなと。自分に対する加害行為であったとも思うようになりました。被害者を生まないため、他人に迷惑をかけないようにするために盗らないというのはもちろんですが、自分のためにも盗る生活には戻りたくないです。この「自分を大事にしなきゃだめだ。自分のために、盗らない」と思えるようになったことは盗らない生活を続けるうえで、とても意味があることだと感じています。

過去を振り返り、決意を新たにする

盗っていた頃はその方が楽だと思っていたのですが、それは大きな勘違いでした。盗っていた頃は、盗品を持ってお店を出る時の緊張感、店を出た後の開放感、そのスリルのハマっていた部分がありますが、ちゃんと買って堂々とお店を出られる方がよっぽど楽で、気持ちがいいです。盗らない期間が長くなるにつれ、「真逆だった、盗らない方が楽」その思いは強くなっています(盗らない日々を送れるようになって良かった)。盗っていた頃に戻りたくない、その気持ちを持ち続けるためにも盗っていた頃を思い返すようにしています。

例えばテレビで万引き特集をやっていればそれを見て、また万引きGメンの方の書籍やネット記事を見て、「もう万引きしていた頃に戻りたくない」と思います。

万引きしていた頃、あの人も摂食障害・クレプトマニアだろうなという人とお店で鉢合わせになったことがあります。そのお店は警備が甘かったこともあり、お互いに良からぬ常連さんになっていたのだろうなと想像します。盗りやすいエリアで鉢合わせになりました。向こうもわたしのことを万引きをしている人だとわかったと思います。目があった後に相手の方が向きを変えて反対方向に歩いて行ったんですが、そのときに棚に手を伸ばしてがばっとお菓子を鷲掴みにしてカバンに入れてたんです。その時の映像が頭に残り、今も思い出せます。そのときは、「あの人もクレプトマニアだな。この店は盗りやすいからあの人も狙ってるんだな。自分も負けないように盗ろう!」くらいの気持ちになり、わたしも万引きしました。でも、今その映像を思い浮かべると、「あのような姿にはなりたくない、もう戻りたくない」と思い、「なんて馬鹿なことを繰り返していたんだろう…」と被害店舗に申し訳ない気持ちでいっぱいになります

できることは盗らない日々を積み重ねること

わたしは今は「盗りたいとは思わない、むしろ盗りたくない」・「盗っていた頃に戻りたくない」と思っており(内発的動機づけを得られると強い)、それをことばにして家族にも伝えています。そして、行動しているのは自分自身なので盗っているかどうか、はっきりとわかります。ところが周囲の人は違います。ことばと行動が一致しているか、本当のところは本人にしかわかりません。両親はわたしのことを信じてくれていますが、疑ってくれてもいます。それはそうでしょう、盗っていた頃はその事実をずっと隠していたのですから、100%信じるなんて無理でしょう。逆の立場だったら、わたしも100%信じることはできません。むしろクレプトマニアという病気を理解し、疑ってくれていることをありがたいとも思います。

わたしは今も万引きを繰り返していた頃も両親と同居していました。2回目に捕まった時、警察署での取り調べが夜遅くまで続きました。母はLINEを送っても既読にならないなと思いつつ、まあそのうち帰ってくるだろうと床に就いたそうです。その結果、寝静まった両親を警察からの電話で起こすという事態を招いてしまいました。両親はその時のことが軽いトラウマになっており、今でもわたしからの連絡が遅くなると、警察に捕まったのではないかと心配になることがあるといいます。信じていないわけではないが、やはり悪いことを考えてしまうというのです。そのため今は帰宅時間の連絡は早めに行うことを心がけていますが、連絡するのが当たり前になっているからこそちょっとでも遅れると心配になってしまうとのこと。家族であっても他人、他人から行動を制限されることはなく、スリップも自己責任であることはお互いに承知していますが、やはり心配は尽きないそうです。両親のそのような不安は、盗らない日々を積み重ねることで少なくなってきているそうですが、やはりなくなることはないのでしょう。本当に申し訳ないと思っており、これからできることは盗らない日々を積み重ねることしかありません。だからこそ「盗りたくない」し、「盗っていた頃に戻りたくない」のです。

盗らなくなったからこそ、そう思えた

このように自分の問題点と向き合い、「盗りたくない」と思えるようになったのは、万引きの空白期間(盗らない期間)ができて、捕まることの不安感や罪悪感から解放され「盗らない方が楽」と実感できたからだと思います。盗っていた頃は万引きを止めたくなかったし、やめるのが怖かったです。「盗っている方が楽」だと思っていました。だからこそ、自分から助けを求めるというのが難しいのだと痛感しています。でもよく考えると、自分が楽であろうと、万引きは被害者のいる犯罪行為です。「盗っている方が楽だから盗っていい」、そんな理論が通用するわけがありません。今となっては「なんでもっと早く助けを求められなかったんだろう…」、「どうして万引きという加害行為を少しでも早い段階でやめることができなかったんだろう…」と悔やむ気持ちが消えません。だからこそ、少しでも多くの人にクレプトマニアについて知ってもらい、クレプトマニアによる万引きを減らしたいのです。被害者も加害者も苦しい、その苦しみを少しでも減らしたいと思っています。

「盗っていた頃に戻りたくない」、「クレプトマニアによる万引きを減らしたい」、その気持ちを行動につなげていきたいと思います。

「盗らない生活の方がずっといい」と仲間が教えてくれた

わたしは万引きがやめられない頃も自助グループに通っていました。万引きを止めたいと思えない、そのことに悩んでいました。やめるのが怖い、そう考えやめることから逃げ回っていましたが、「そんなこと言ってもやめなきゃだめだ」とやっと入院を決意し、やめることができました。その大きな後押しになったのは先行く仲間の「盗らない生活の方がずっといい」という体験談です。いろんな仲間がそう言っていたのですが、その話を聞いた最初のうちは「本当にそうなの?」と半信半疑でした。ところが、何度もそのような話を聞く中で感じ方が変わっていったのだと思います。ある仲間の体験談を聞いた時に「わたしも盗らない生活を送れるようになりたい。そのためには盗れない環境に行かなきゃ無理だ。よし、入院しよう」と決意することができました。

同じ話でも、聞くタイミングによって感じ方が違うというのはよくあることです。また、繰り返しいろんな仲間から聞いたことも意味があったと思います。だからわたしも何度でも伝えます。「盗らない生活の方がずっといい」、それは間違いないです。

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