クレプトマニアの生活 わたしの実体験

わたしの実体験,わたしの歴史

万引きがやめられない状態になると、その思考は万引きをしている以外の時間にも影響を及ぼします。生活すべてが万引きに囚われていきました。そんなわたしの実体験です。

盗ることばかり考えていた

わたしが毎日万引きをしていたころは、「常に」といっても過言ではないほど盗ることばかりを考えていました。移動中、仕事中、お風呂に入りながら、今日はあそこの店でこれを盗ろう、明日はあっちの店であれを盗ろう…など、ふとしたときに万引きのことが頭に入り込んできてしまうという感じでした。

ひどいときは目が覚めた直後から、布団の中で万引きのことを考えていました。夜、万引きをしたお店を出て家に帰る道中で、「明日はあそこのお店で盗ろう」などと考えてしまうような状態でした。頭の中が万引きに支配されているといっても過言ではありません。依存症は脳の病気ですが、このように依存行為のことが頭から離れない感覚が依存症の特徴なのではないかと思います。

お店に行かずにはいられなかった

「万引きしないようにするために、お店に行かなければいい。」、そう頭ではわかっているんです、わかっていたつもりです。でも、お店に行かずにはいられない状態でした。出かけるとき、予定よりちょっと早く準備できたら、駅まで早足に向かいます。そして少しでも時間に余裕があると、まっすぐに駅に行けばいいのにお店に寄って万引きをしてしまうんです。待ち合わせに遅刻すると連絡を入れてまで万引きをすることもありました。

仕事からの帰り、電車の中では「駅から家にまっすぐ帰ろう」、「お店に行ったら盗りたくなってしまうんだから、お店に行かないようにしよう」などと考えてはいます。それなのに、電車を降りるとまっすぐ帰宅すればいいところをお店に行って万引きをしてしまいます。わたしは閉店間際に売れ残っているお惣菜を見ると、「どうせ捨ててしまうくらいならもらってしまおう」、「捨ててしまうものなんだからお店にとって損はないはず」、「お店の人の捨てる手間も省けるんだから」などと考えて、万引き衝動を抑えられない状態にありました。閉店間際のお総菜売り場に行ってしまったら万引きしてしまうのはわかっていました。それなのにわざわざお総菜売り場に行ってしまうんです。

もう、自分では万引きをすること以前に、お店に行くことをやめられない状態でした。

行く先々で万引きをした

定期券を持って電車通勤をしていたので、仕事帰りには万引きをするために途中下車をしていました。また、いつもはいかないようなところに出かけたときには「交通費をかけてきたんだから、万引きしなきゃ損」という思いで万引きをしました。その結果、検察の取り調べや裁判傍聴、自助グループのミーティング、さらにはクレプトマニア専門病院の受診に行ってもその帰り道に万引きをしてしまうような状態でした。

盗らない一日を作るために…

365日のうち、360日は万引きするような生活でした。ガマンができないのです。警察に捕まっても翌日から万引きを繰り返す生活になりました。

それでも何とかガマンしよう、盗らない一日を過ごそうと作戦を立てます。それは家から一歩も出ないというもの、そのくらい徹底しないとお店に行ってしまうのです。わたしは自分用の食べ物を万引きしていたのですが、食べ物がなければ不安になり盗るためにお店に行ってしまいます。家から出ないためには事前に食べ物を用意しておく必要がありました。そうなると前日に翌日の分を万引きします。「結局、タイミングが違うだけでガマンできてないじゃん!」と今なら思えますが、盗ってた頃はこれでも自分なりに頑張ってガマンしているつもりでした。そして少しでも罪悪感を減らそうとあがいていました。

常に怯えていた

日常的に万引きをしていることに罪悪感はありました。でも罪悪感というより、捕まることへの不安が強かったように思います。バレること、捕まることにいつもびくびく怯えていました

例えば、街中で警官とすれ違うと「わたしのことを捕まえに来たのではないか」と思ってしまうのです。盗ったものをバッグに入れて歩いているときに、2人組の警官に後ろから抜かれたときは心臓が止まるかと思いました。自分が落としたハンカチを拾ってくれた人に後ろから肩を叩かれた時には、すごい剣幕で振り返っていたと思います。パトカーとすれ違えば、運転中でも心臓がドキドキしていました。職場に、全然関係ない用件で警察から電話がかかってきたときには、この世の終わりかと思いました。家にいてインターホンが鳴れば、警察が来たのではないかと不安になりました。

また、頭の中に盗りたい気持ちが常にあると他人にバレることに不安になっていました。「脳内の思考が外から見えるような技術が開発されて、いつも万引きしたいと思っているとバレたらどうしよう?」、「顔に盗人と書いてあるんじゃないか?」などとありもしないことを本気で考えていました。

万引きをやめれば、こんなビクビクした生活から解放されるんだろうと頭ではわかっているつもりでした。でも、やめられませんでした。

満足感を味わっている自分がいた

「万引きはいけないことだ」、「毎日のように万引きする生活をやめなければいけない」と考えている一方で、万引きすることで満足感・達成感・優越感、といった快感を得ていたのも事実です。「盗らねばならない」、「盗らないと一日が終らない」というような強迫的な感情にも囚われていたので、万引きをしたことで解放感や安堵感も得ていました。

万引きをしているときは慎重になり、怯えている一方でどこか誇大妄想を抱いているような感覚がありました。「今のわたしなら、こんなに盗っても捕まらない」、「お金を使わずに、こんなにいいものを手に入れられるんだから自分はすごい」、「捕まえられるものなら、捕まえてみろ」というような、自信に満ちた、根拠のない、万引きを助長するような考えが頭に浮かぶんです。次は捕まるかもしれないという不安や怯えが頭をよぎることもあるのですが、そんなときでも強気な発想で自分を鼓舞します。「盗りたい」というよりも「盗らねばならない」という強迫的な衝動にかられていました。怯えと、それを打ち消すための誇大妄想という矛盾した感情を抱えながら店内を巡ります。ときには躊躇することもありました。でも1つ盗ってしまうとその思いは一気に吹っ飛びます。次々に商品をバッグに入れ、お金を払わずにお店を出ます。お店を出て、誰も追いかけてくることはなく無事にことをやり終えたと思うと、何とも言えない解放感と安堵感を得ていました

わたしの場合、楽しみはそれだけでは終わりませんでした。万引きしたものを持って自宅に帰ると自室に籠り、盗ってきたものを部屋に並べます。そしておおよその金額を計算していました。盗ってきた商品のおおよその合計金額をはじき出し、何とも言えない満足感を味わっていました。この「万引きをして自宅に帰り、盗ったものを並べて金額を計算して満足」という一連の流れに達成感を感じており、これが終わらないと一日が終わった気がしないくらいの感覚になっていました。

盗るのは勝ち、買うのは負け

わたしの場合、「盗る」ことよりも、「お金を減らさずにモノを得る」ということが目的だったように思います。わたしは過食嘔吐用の食べ物を万引きしていたのですが、「盗りたくて盗っていた」という感覚以上に「お金を減らしたくない、でもほしい。ならば盗ってしまえ!」、「お金を減らしてはダメ、盗らねば」という思いにかられていました。とにかく食べ物に使うお金を少なくしたかったんです。「お金を払って買ったら負け」、「お金を払わずに盗ることができたら勝ち」、そんなゲームを楽しむような感覚になっていました。そしてお金を減らさずに食べ物を得ることの満足感・達成感、他の人はやらないことをやっている優越感、悪いことをして得られる背徳感にハマっていきます。

一方で、これは盗らないでお金を払って買うという食べ物もありました。他人にうまく説明できる理由はないのですが、自分でそう決めているのです。そのマイルールを守れなかったら本当に終わり、そこだけは自制しようと特定の品はなぜか頑なに買い続けました。

仕事に行くのは帰りに万引きをするため

万引きにハマっていた頃はうつ病も患っていました。そのため、朝は布団から出るのが一苦労でした。また、通勤が大変で途中下車してベンチに座り込んでしまったり、遅刻してしまうこともしょっちゅうでした。動くことが大変でした。そんな時は職場近くの繁華街で万引きをすることをイメージするのです。職場に行けば、帰りに万引きができます。行き先で万引きができると思えば電車にも乗れました。仕事を頑張れば、その後に万引きできると思えば仕事にも行けました。万引きをエサにすれば、動けるのです。

「仕事を頑張ったから、帰りに万引きしてもいいだろう」、そんな認知の歪みがさく裂していました。仕事帰りに万引きをするというよりも、仕事後に万引きができるということでなんとか仕事に向かうモチベーションを保つ、そんな状態でした。

強固なはずのマイルールも万引き衝動には勝てない

わたしは白黒思考やこだわりが強く、生活がマイルールに縛られがちです。万引きにも自分なりのルールがありました。マイルールは強固ではあるのですが、一度破ってしまうと一気に崩れてしまいます。万引きも、一度盗ってしまったら一気にやめられなくなりました。それでも自分の中で、「同じお店で連日は盗らない」、「仕事が終わるまでは盗らない」、「今日食べきれる以上のものは盗らない」などと自分なりにルールを作っていました。しかし、これらのルールも万引きには無力で、次々と意味をなさなくなりました。いつも利用する最寄り駅にあるお店では連日で万引きしてしまうこともしょっちゅうでした。ガマンできるのはカバンに空きがない時くらいです。仕事があっても出勤前や休み時間にも万引きをしてしまうこともありました。また、「今日食べきれる以上のものは盗らない」というマイルールが崩れると、食べ物をため込むようになってしまい、どんどんと盗る量が増えてしまいました。

それでも「自分の食べ物以外は盗らない」というルールだけは何とか守り続けました。でもこのルールについても崩れるのは時間の問題だったと思います。助けを求めることができず依存期間がもっと長くなっていたら、日用品や洋服など、あらゆるものを万引きするようになっていたことが容易に想像できます。

「本当にやめたい!」と思えていなかった

万引きのことが頭から離れず仕事にもなかなか集中できない、常にびくびくしているなど精神的にかなりきつい状況にありました。でも、正確に言えば、「あったと思います」という感じです。きつい状況にある一方で、お金を減らさずにモノを得られるという、打ち出の小づちを手にしてしまったようなちょっとした万能感を抱いている「ハイな状態」になっていました。その結果、精神的にきつかったと思いますが、当の本人はそこまできついとは思えていませんでした

万引きは成功率が高く、バレないことの方が圧倒的に多かったです。そしてお金が減らずにモノを得られ、さらには何とも言えない快感も得られます。それもあり、万引きをやめたいとは思えていませんでした。いや、やめたくなかったです。それでも警察に捕まってしまうことへの不安からやめなきゃまずいとは思っていました。捕まりたくないんです。でも「捕まらないために万引きをやめよう」とは思えず「捕まらないために、どうやったら見つからないか?」ということを考えてしまっていました。「やめたいと思えない」ことに悩んでいるような状態でした

善い行いでつじつまを合わせようとした

悪いことをしている感覚はあったので、少しでも善いことをしてその罪悪感を減らそうとしました。そうしてでも万引きを続けようとしていました。そのため頭の中が万引きに囚われ、なかなか集中できない中でも仕事は自分なりに頑張りました。結果もそれなりに出していたと思います。また、家の周りのごみ拾いもしました。自分の中では労役のような感覚です。ごみ袋とごみ拾い用のトングを持ち、約1時間ぶらぶらと歩きながらごみ拾いをします。「ご苦労様です」などと声をかけられると、何とも言えない複雑な気持ちになりました。さらに、万引きをしているお店でも、乱れている陳列を直してみたり、落ちているごみを拾ってみたりと、万引きというマイナスを少しでも穴埋めしようとすることもありました。

万引きがやめられないという罪悪感を少しでも紛らわすため、そして裏の顔をひた隠すため、表では善いことをしてこころのバランスを取ろうとしていました。でも今思えばこれは逆効果だったかもしれません。というのも、最初のうちは罪償いのような感覚で善いことをしようとするのですが、徐々に「仕事頑張ったから万引きしてもいいだろう」、「ごみ拾いしたから万引きしてもいいだろう」などと、むしろ万引きを助長するような方向に解釈してしまっていたからです。生活の中から、万引きを正当化する理由を探し出そうと必死になっていたのだと思います。

やめたくなかったから入院を先延ばしにした

通院や自助グループへの参加を続けても一向に万引きがやめられず、盗れる環境でガマンすることは無理だと痛感し3回目に捕まった時に入院を決意しました。自分で決めた入院ですが、万引きをやめたくなかったので入院を先延ばししたいという気持ちがありました。入院したら絶対に万引きをやめると決めていましたが、逆に言うと「入院までは万引きしよう、入院の前日を盗り納めにしよう」と考えていました。そんな状況で職場に休職依頼の話をしようとしたところ、偶然にも4か月後に会社都合で退職してほしいという話がありました。やった!と思いました。すぐにでも入院しなきゃと思っていたら、都合よく入院を先延ばしにする理由ができたからです。そして退職しても、さらにいろいろと都合をつけて入院を先延ばしにしました。一番の理由は通勤定期券の有効期間が残っていて、その定期券を使ってあちこちで万引きをしたかったからです。万引きをするために定期券を利用しました。そして、入院前日の盗り納めまで万引きを繰り返しました。

盗らない生活を送れる今だからこそわかること

盗っていた頃はこのような状態にあることが普通ではない、おかしいとは思っていました。さらにわたしの場合はクレプトマニアという病気があることを知っていたので、自分がクレプトマニアなのだろうとも感じていました。それでもやはり本当の意味で受け入れることはできず、その事実を隠したいと思い、助けを求めることはなかなかできませんでした。やめたくなかったというのも正直なところです。頭がおかしくなっていると感じていたからこそ、その事実を隠そうと誰にも打ち明けられず、苦しみ、さらに万引きがやめられなくなるという悪循環にどっぷりとハマっていました

こんな頭がおかしくなっていた頃のことをオープンにするのは、万引きがやめられずに悩んでいる人に、同じような悩みを抱えた人がいると知ってもらいたいからです。そして、こんな状態からでも助けを求めたことで、多くの人の力を借りて今は盗らない生活を送れるようになったということを伝えたいのです。これが少しでも遅くなっていたら今頃どうなっていたかと考えるとぞっとします。万引きがやめられないという悪循環から一人で抜け出すというのはまず無理だと思います。すぐにでも助けを求めてください。まずは溜め込まないことが大切です。助けを求める相手がいなかったら、わたしに連絡していただいても構いません(こちらまでご連絡ください)。

盗らない生活を送れるようになった今になってわかることは、盗らない生活の方がよっぽど楽だということです。毎日のように万引きをしていた生活には戻りたくないと思えるようになりました

依存症に完治はありません、再発のリスクは常にあります。いつまた盗りたくなるか、わかりません。 油断も、過信も、禁物です。だからこそ、盗らない一日を積み重ねられている今の気持ちを文章にしておきます。盗らない生活の方が、よっぽど楽です。

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